【8月27日付編集日記】宮沢賢治と災害

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 宮沢賢治の生涯は災害と共にあった。生まれた1896年に明治三陸地震・津波が発生し、古里の岩手県を中心に約2万2000人が犠牲になった。昭和三陸地震があった1933年に他界するまで、多くの冷害や干ばつを体験した

 ▼苦しむ人々を見てきた賢治は地域の地質調査や農民の稲作指導に取り組み、災害の克服や自然との共生に向けて地道な活動を続けた。農学校での教師時代は、災害に強い農作物や肥料の研究とともに後進の育成に力を尽くした

 ▼日本は現在も、災害の危険性にさらされ続けている。国連大学のチームが、世界171カ国のうち日本は4番目に災害に遭いやすい国だとする報告書を発表した。地震や水害が多いことが要因という

 ▼その一方、インフラや物流などの面では、災害への対処能力が高いと評価された。チームの科学者は「日本は防災に関する技術が非常に高い」とした上で、災害対策の専門家など人材育成や危機管理の充実を課題に挙げている

 ▼きょうは、賢治の生誕120年。詩「雨ニモマケズ」や、童話「グスコーブドリの伝記」といった多くの作品には災害に向き合う賢治の覚悟が投影されている。その生きざまはいまも、私たちへの示唆に富む。