【11月10日付編集日記】全国街道交流会議

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 古代の大和朝廷は7世紀、都から諸国へ通じる道「駅路」の整備を始めた。一説には、この駅路が「街道」の始まりと言われるが、そのころ東北地方は道奥(みちのおく)と呼ばれ、道の尽きる奥地とされていた

 ▼しかし中世に奥州街道が通ると、人やモノ、情報の行き来が盛んとなる。みちのくにあこがれる文人墨客も多く、平安後期の歌人藤原清輔は「白河の関を越えるときは身なりを整え正すべきだ」と「袋草紙」に記した。松尾芭蕉の弟子の曽良が「卯の花をかざしに関の晴着かな」と詠んだのは、清輔の一節を受けたものだ

 ▼本県には奥州街道のほか、浜通りを縦断する陸前浜街道、会津藩主が参勤交代で利用した下野街道などさまざまな道が存在する。歴史や文化を育んできた道は、未来へと受け継ぐべき遺産でもある

 ▼道を生かした地域交流やまちおこしを考える全国街道交流会議が、あす福島市で開幕する。「街道復興」をテーマに、整備が進む東北中央道の活用などについて全国の観光や行政関係者らが意見交換する

 ▼それぞれの地域が持つ個性や魅力をつなぐのも道の役割だ。会議を通し、地域間のネットワークの強化を図り道を舞台とした新たな物語が紡がれていく出発点にしたい。