【2月17日付編集日記】山川健次郎の講演録

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 日差しの明るさが増してきたこの頃だが、吹く風はまだ冷たい。148年前の冬、海を渡った少年たちも身を切られるような厳しさを感じただろう

 ▼戊辰戦争での会津藩降伏から5カ月足らずの旧暦1869(明治2)年2月。会津藩士の子弟、山川健次郎と小川傳八郎は新潟から佐渡島へ渡った。山川14歳、小川は16歳。小川は戦時、少年ばかりで編成された白虎隊の隊士。飯盛山で自刃した隊士には学友もいた

 ▼山川らの佐渡行きは、二人を書生として預かった長州藩士奥平謙輔の異動に伴うもの。敗戦処理に奔走した会津藩士秋月悌次郎が旧友の奥平に藩主の助命嘆願とともに願い出たのが、山川ら有望な少年の教育だったのだ

 ▼しかし佐渡では「会津から脱走してきた」とうわさが広まり約1カ月で新潟へ逆戻り。後に、山川は東京帝大総長などを歴任、小川は陸軍大佐となったが、身を立てるまでは「逆賊会津」への偏見のなか学ぶ場所を求め各地を転々とした

 ▼その山川の未確認だった講演録を収めた資料が見つかった。講演は山川が74歳の年、旧制中学で白虎隊について語ったという。逆境から未来を切り開いた山川は、若者たちになにを伝えたのか。研究の進展が待たれる。