【4月16日付編集日記】佐川官兵衛と熊本

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 幕末の鳥羽伏見の戦いで、会津藩家老の佐川官兵衛は右目の上に銃弾を受けるなど重傷を負う。それでも平然と指揮を執り続ける姿に敵も味方も「鬼神のようだ」と震え上がる。佐川が「鬼官兵衛」と呼ばれるようになったのはこの時からという

 ▼新政府の樹立後、警察官となった佐川は西南戦争に出征。本陣を置いた熊本県白水村(現南阿蘇村)では村人から「鬼さま」と親しみを持って呼ばれたとの逸話が残る。戦場でありがちな略奪行為を部下に禁じ、村人にも笑顔で接したためだ

 ▼佐川は、阿蘇山中で狙撃によって壮絶な最期を遂げた。同村には佐川をしのぶ慰霊碑や顕彰碑などが約20基もある。西南戦争の戦死者でこれほど多くの碑が立っている例はない。佐川の人徳があってこそのものだろう

 ▼佐川の新たな顕彰碑が今月、同村で除幕された。熊本地震で戦没地の碑が倒壊したため、会津と熊本の両顕彰会が協力して胸像付きの碑を建立した。二つの地を結ぶ友情の証しだ

 ▼熊本地震の本震から、きょうで1年。本県は、自治体職員の派遣や義援金などを通し、物心両面で支援してきた。共に復興へと歩む熊本と本県の姿を、泉下の鬼官兵衛も頼もしく見守っていることだろう。