【7月5日付編集日記】歴史の境界線

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 国見町の阿津賀志山は標高が289メートルと高くはないが、山頂からは信達平野を一望できる。太陽の光を受けて水面が輝く阿武隈川も間近に見え、山と川の間を国道4号と東北道、東北新幹線、東北線が並走する

 ▼ここは中世のころ、関東から陸奥へとつながる奥大道が通っており、当時から交通の要衝だった。1189(文治5)年には、源頼朝が奥州藤原氏を討つべく大軍と共に奥大道を北へと進んだ。迎え撃つ藤原軍と頼朝軍が激突し、最大の戦地となったのが国見だ

 ▼藤原氏が、国見を決戦の地に選んだのには理由がある。阿津賀志山と阿武隈川の間の狭い平地は頼朝軍の進軍を遮る防塁を築くのに格好の場所だったためだ。山の中腹から河畔まで奥大道を直交する防塁は、いわば藤原氏が治める奥州へと入る境界線だった

 ▼国見町が、国史跡の阿津賀志山防塁を活用した歴史公園を整備する。住民の声を反映しながら遊歩道や案内板を設け、2021年度の完成を目指す

 ▼頼朝軍が勝った合戦は、政治の実権が公家から武家に移る分け目となった。だが今、防塁は自然に溶け込み、その場所は一目では分かりにくい。公園整備で、歴史的な境界線がはっきりと姿を現すのが楽しみだ。