【7月17日付編集日記】米騒動100年

  このエントリーをはてなブックマークに追加 

 騒動は富山県魚津の港から始まった。米が県外へ運び出されるのを阻もうと、漁師の妻ら数十人が港に殺到し、船に米を積むのをやめるよう要求した。1918年7月のことである

 ▼当時は第1次世界大戦末期で、物価が急騰していた。米価も半年ほどで約3倍にまで跳ね上がり、多くの人々が苦しい生活を強いられていた。そのため富山の「米騒動」が各地の新聞で報じられると同様の動きが広がっていく

 ▼福島市では8月13日、約2千人の市民が決起し、主要な米穀商に押し掛けて値下げを迫った。これが端緒となり、9月21日までの間に県内三十数カ所で騒動が発生。中には軍隊が鎮圧に当たったり米店に爆弾が投げ込まれたりして大きな騒ぎになったケースもあった

 ▼全国で相次ぐ米騒動の責任を取って寺内正毅内閣は総辞職し、「平民宰相」と呼ばれた原敬内閣が発足。民衆の権利意識が高まって、普通選挙運動や労働運動が本格化する。「越中の女一揆」と言われた米騒動は女性差別をなくそうという機運もつくった

 ▼それから100年。選挙の投票率は若者を中心に低迷し、労働環境の充実や、女性の社会参加はいまもなお大きな課題だ。歴史が投げ掛けてくる問いは、重い。