【10月3日付社説】仏都会津/ブランド確立に機運向上を

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 平安時代の初期、高僧・徳一(とくいつ)が会津盆地に花開かせた「仏都会津」の魅力を高めようという民間レベルの機運を盛り上げ、確固とした会津ブランドとして「仏都」の名が全国に広がるよう育みたい。

 喜多方市で先月末、仏教文化のつながりが深い奈良との交流を目的とした「会津と奈良いにしえの絆継承委員会」が設立された。
 奈良は徳一が法相宗を学んだ地だ。興福寺や東大寺で修行した徳一は会津の地に赴き、磐梯町の慧日寺(えにちじ)や湯川村の勝常寺、柳津町の円蔵寺を開いたといわれる。

 委員会には会津の歴史や文化を次世代につなぐ活動をしている人たちや、伝統産業に携わる人たちらが参加した。徳一ゆかりの奈良と「仏都」同士の交流を通し、視察研修や情報発信に取り組んでいく考えだ。

 会津とともに仏都を盛り上げようという機運は、奈良でも高まっている。昨年11月には法相宗大本山の薬師寺(奈良市)でシンポジウム「奈良と会津1200年の絆」が開かれ、会津からも大勢の人たちが参加した。

 徳一を懸け橋とした交流の輪が広がっているといえよう。委員会は、お互いの交流を通して地域に伝わる歴史的な文化の魅力を再確認し、地域の活性化や観光振興に結び付けたい考えだ。

 「仏都会津」を観光で売り出そうという動きは以前にあった。2005年に会津で行われたJRの大型観光企画デスティネーションキャンペーン(DC)では、大々的にPRされた。

 ただ、「仏都」が会津全体のイメージを表すため、DC後には各市町村単位の観光振興策に浸透しきれていなかった感は否めない。
 今年に入り、会津地方の17市町村がまとまって「仏都会津~徳一と会津の仏教遺産群」を文化庁の「日本遺産」に申請したが、認定には至らなかった。

 遺産の認定には、歴史的な価値や魅力を分かりやすく伝える「物語性」が求められる。

 民間からわき起こった奈良とのつながりや交流といった動向は、物語に広がりと深みを持たせるのに格好の材料になるだろう。

 委員会は将来、「日本遺産」の認定を目指すとしている。行政では描ききれない物語をつむぎ、仏都の魅力を発信してもらいたい。

 それには、会津の17市町村や県などの行政をはじめ、観光や農業などの各種産業を動かすほどの活動の広がりが求められる。

 「仏都」を会津の統一ブランドとして育て上げるという気概を刻みたい。