【2月20日付社説】震災遺産の保存/記憶を後世へとつなぎたい

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 「あの日」の記憶が目の前にはっきりとよみがえってきた。

 会津若松市の県立博物館で開かれている特別展「震災遺産を考える―ガレキから我歴へ」。入り口に展示されていたのは、東日本大震災の津波で被害にあった南相馬市の高齢者施設の壁紙だった。泥水の痕が、人の背丈ほどの高さまでついている。この施設では30人以上が犠牲になった。当時の様子を想像し、しばし立ちすくんだ。

 震災発生の午後2時46分すぎで止まった美容室の看板時計、津波の威力でひしゃげた海岸沿いの道路標識、避難所に残されていた「探し人」などの貼り紙、東京電力福島第1原発事故がなければ開催されていたはずの「夜ノ森桜まつり」の告知ポスター...。すべての展示物が「3・11」を物語っている。

 これらの「震災遺産」を収集したのは同博物館や浜通りの民俗資料館、自然史研究会などでつくる「ふくしま震災遺産保全プロジェクト実行委員会」だ。事務局の高橋満さんは「震災遺産は、本県の経験と教訓を100年先まで伝えるメッセージになる」と展示の目的を説明する。

 震災と原発事故から丸5年がたとうとしており記憶の風化が懸念される。どうすれば震災の経験と教訓を後世へとつないでいけるか。プロジェクトの取り組みは、そのための具体的なヒントでもある。

 震災遺産を残す取り組みは広がってきている。双葉町の中心地に設置されていた「原子力明るい未来のエネルギー」などの標語が書かれた看板。昨年末に撤去されたが、町は原発と共存してきた歴史を表す遺産だとして、将来の展示も視野に保管することにした。

 震災1カ月後に起きた大規模余震で住民が亡くなったいわき市田人町では、住民とプロジェクト実行委が、余震で現れた断層をはぎ取り、標本化して保存している。

 未曽有の複合災害の記憶を伝えることの意義は大きい。震災の傷痕を形として残す震災遺産は災害の脅威、防災の重要性を直接的に訴える。

 自らの体験を語り継ごうとしている人たちもいる。震災の記憶を被災地以外の人たちや、これからの世代の人たちに伝えていこうという「語り部」の思いも大切にしたい。

 県は、震災と原発事故の記録伝承を目的としたアーカイブ拠点施設(震災記録施設)の建設を計画している。記憶を風化させないためには、被災地の自治体や住民だけでなく、県や国も積極的にかかわることが重要だ