【8月6日付社説】特撮のDNA/ものづくりと発信力の原点

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 クールジャパンの原点ともいえる特撮映画の歴史。それは福島の今を伝える情報や文化を発信するためには、世界を見据えた視野が必要であることを教えてくれる。

 「怪獣ゴジラ」が今夏もメディアをにぎわしている。12年ぶりに国内で製作されたゴジラ映画の新作「シン・ゴジラ」が全国で封切られ、県内ではゴジラ映画など特撮映画の魅力を紹介する「特撮のDNA」展が三春町で始まった。

 人気を誇る「怪獣王」の誕生は1954(昭和29)年。水爆実験の影響で目覚めた怪獣が日本を襲うという、日本初の特撮怪獣映画「ゴジラ」が公開され、600万人を動員するヒットとなった。

 ヒットは海外にも及んだ。むしろ、国内の評論家が無関心だったのに対し、ヨーロッパでは高く評価され、米国ではドラマ部分を編集した海外版がヒット。欧米人気が逆輸入される形で、国内での名作映画としての評価が定まった。

 欧米での人気を受けて映画会社も海外セールスを視野に特撮映画を続々と制作した。アニメなど日本のポップカルチャーを輸出する現在のクールジャパン戦略の先駆けが、まさに「ゴジラ」だったといえるだろう。

 しかし、このヒットは偶然ではなかった。「ゴジラ」の企画は戦後、再起を目指していた日本映画界から、海外に通じる作品を送り出そうと練られ、テーマは「人類の存亡」にスケールアップされた。

 現在、東日本大震災と原発事故からの復興を目指す本県は、再起を期していた戦後の映画界の姿と重なる。特撮映画の歴史と同様、世界的な視野に立った取り組みの重要性が浮かび上がる。

 風評の払拭(ふっしょく)に向けては、県民の声や暮らしぶりを正確に伝える情報発信が欠かせないが、情報は海外を経由して影響力を増し、国内に戻ってくる場合もある。一層、世界に向けた情報発信の企画、戦略を練り込む必要がある。

 ゴジラに始まる特撮映画は、迫力ある映像で世界の支持を得た。その特撮映像を作り上げたのが須賀川市出身で「特撮の神様」と呼ばれる特撮技術監督円谷英二と、そのチームだった。ドラマ部分の数倍、時間と手間が掛かる特撮だが、円谷は納得がいかなければ撮り直しをいとわなかった。

 「ゴジラ」以来、今も多くの作品を生み出し続ける「特撮のDNA」とは、「ものづくり」への情熱だろう。世界で受け入れられるのは、妥協を許さず磨き上げられたものだけ。情報や県産品を世界へ送り出そうとする私たちが忘れてはならない示唆である。