【3月15日付社説】首相「原発」文言なく/事故の風化進めてはならぬ

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 政府自ら東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の風化を進めるようなことがあってはならない。

 政府主催の東日本大震災追悼式で、安倍晋三首相が「原発事故」の文言を使わなかったことに対する波紋が広がっている。

 内堀雅雄知事は定例会見で「県民感覚として違和感を覚えた」とした上で、原発事故は「過去形ではなく現在進行形の災害」だと強調。「原発事故という重い言葉、大事な言葉は欠かすことができない」と苦言を呈した。

 知事が言うまでもない。第1原発事故の「原子力緊急事態宣言」は2011年3月11日に、当時の首相が発したまま解除されておらず、本県では約8万人が避難を続けたままだ。首相が収束宣言をしないまま、追悼式の式辞で原発事故に触れないのは不自然であり、政府の姿勢が後退していると指摘されても仕方がない。

 政府の追悼式は、震災翌年の12年から毎年開かれ、昨年までは首相式辞の中で「原発事故」という言葉を必ず使っていた。

 文言がなかったことについて、菅義偉官房長官は13日の会見で、式辞の中で「福島の復興に触れていた」と弁明、「前日(10日)の政府の会議でも原子力災害からの復興に閣僚全員が全力で尽くすよう、改めて指示があった」と述べた。だからといって式辞で明言しなかったことに変わりはなく、言い訳にしか聞こえない。

 政府の原発事故に対する後退感がにじむのは追悼式の式辞だけではない。安倍首相は12年12月の第2次政権の発足後、毎年3月10日か11日に、官邸で会見を行ってきたが、今年は開催しなかった。

 菅氏は理由について10日の会見で、首相が政府の追悼式に出席するほか、12日の岩手県訪問で復興に向けた取り組みなどを発信する予定があることを挙げていた。その追悼式が先の結果であり、政府の姿勢が疑われよう。

 安倍首相はその岩手県訪問で、震災から6年が経過したことを踏まえて「震災を風化させないという意思を持って、教訓を生かし、防災に努めたい」と語った。そして「福島の復興なくして東北の復興はない。東北の復興なくして日本の再生はない」とも訴えた。

 首相が本当にそう思うのであれば、原発事故を風化させるようなことはあってはならず、本県復興の前提である事故の収束を図らなければ日本の再生もない。事故の責任は原子力政策を進めてきた政府にもあることを再認識し、事故収束と復興に向けて政策を確実に遂行しなければならない。