【8月15日付社説】終戦の日/平和のバトン確実に次代へ

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 72回目の終戦の日を迎えた。戦没者に哀悼の意を表し、平和への誓いを新たにする日にしたい。

 先の大戦では全国で約310万人が犠牲になった。このうち旧日本軍兵士は本県出身者約6万7000人を含め約230万人。さらに広島、長崎への原爆投下や東京大空襲の無差別攻撃、学徒動員されていた高校生までもが命を落とした郡山空襲など、民間人の犠牲者も全国で約80万人に上る。

 いまの平和は、戦禍で亡くなった人々の犠牲のうえに成り立っていることを忘れてはならない。平和のバトンを若い世代に手渡していくことが、いまを生きる私たちの責任であることをもう一度、深く心に刻みたい。

 戦時下、学生たちは軍需工場などに勤労動員がかかった。郡山市にあった工場では、同市や福島市などの女子生徒らが「風船爆弾」の製造に動員された。

 風船爆弾は気球に爆弾を搭載、偏西風に乗せて米国本土を攻撃しようと考えられた。気球は直径約10メートルで、和紙を何枚も貼り合わせてつくる。空気が漏れないよう紙を正確に合わせなければならず、何度も指でなでつけるため指紋が消えるほどだったといわれる。

 1944(昭和19)年当時、福島高等家政女学校3年だった福島市の瀬戸君子さん(87)は同級生と共に冬季の5カ月間、気球づくりに携わった。冷たい板の間に正座し、かじかむ手で和紙を貼り続けた。

 「寮生活で食料も粗末。つらい作業だったが、みんなで声を出して励まし合った」と瀬戸さん。

 風船爆弾は、いわき市勿来にあった基地から米国に向かって放たれたことはよく知られているが、県内で製造されていた実態を知る人は少ない。

 終戦から長い年月が過ぎ、戦争の苦しさや悲しさ、無念さを知る人たちは年を追うごとに少なくなっている。さまざまな体験を戦争を知らない世代に確実に伝え、引き継いでいくことが大切だ。

 県遺族会の会員数は7993人(2月現在)で前年より648人減少した。戦没者の妻の平均年齢は98歳、いまの活動の中心を担う戦没者の子どもたちの世代でも78歳になった。

 高齢化が進み、戦争を語り継ぐことが難しくなっている。このため同会は2年前、終戦70年を機に語り部活動をすることを決めた。

 一昨年は会員から手記を集めて冊子にまとめ、昨年は各地区の遺族会が中学校に冊子を贈った。そして今年、初の語り部が中学校の壇上に立ち訴えた。「戦争の悲劇を二度と繰り返してはならない」