【9月14日付社説】灰塚山古墳/古代ロマンを新たな魅力に

  このエントリーをはてなブックマークに追加 

 会津の古代史に新たな光を当てる発見だ。仏教文化や幕末だけにとどまらない会津の奥深い歴史を広く発信する契機にしたい。

 古墳時代中期(5世紀)に造られた喜多方市慶徳町の「灰塚山古墳」の調査で、石棺の石室内からほぼ全身の人骨が見つかった。

 灰塚山古墳は会津盆地西縁の丘陵にあり、全長が約60メートルある大型の前方後円墳。当時の会津を治めた豪族の墓と推定されている。

 同時期の大型古墳で保存状態の良い全身の人骨が出土するのは東日本初だ。今回の発見は古代人の暮らしや、当時の会津と中央政権の関わりを明らかにするための手掛かりになる。会津、さらに本県の古代史の解明に役立ててほしい。

 同古墳は、東北学院大(仙台市)の研究チームが調査している。調査で見つかったのは頭骨と背骨、胸や腰、腕、脚の骨などで、身長約160センチの男性とみられている。骨や歯の状態から老齢で亡くなった可能性がある。

 保存状態が良いと復顔やDNA鑑定など詳しく分析できる。分析が進めば豪族の姿形をはじめ、会津に土着していたのか、あるいは渡来してきたのかという系譜や、どのような物を食べていたのかが科学的に確認できるという。人骨の発見は考古学だけでなく、人類学的にも意義が大きいという。

 石棺の内部からは剣1点、大刀(たち)2点も見つかった。石棺の外側からは昨年、大刀や矢尻など大量の鉄製品や青銅の鏡といった副葬品が出土したが、それに比べて内部の副葬品は大幅に少なかった。

 地方の古墳では棺(ひつぎ)の中に副葬品を大量に納めるのが一般的だが、近畿地方では副葬品は棺の外側に多く、内部に少ない傾向がある。灰塚山古墳は副葬品の豪華さだけでなく、埋葬法でも会津の豪族と大和王権との関わりが深かった可能性が高いことを裏付けた形だ。

 古墳時代中期の会津は、同前期(3~4世紀)に比べて「大和王権との関わりが薄い」というのが通説だった。一連の発見はこうした通説を覆すものだ。古代の会津を知る研究の進展に期待したい。

 喜多方市には、東日本最大級の古墳時代の豪族住居で国指定史跡の「古屋敷遺跡」もある。同古墳との関連も推定されており、古代ロマンを題材に新たな地域づくりの展開を描くこともできる。市は会津、さらには県全体の遺産として、同古墳の保存と観光資源としての活用に知恵を絞ってほしい。

 17日には現地説明会が開かれる。多くの人に足を運んでもらい、古代史を身近に感じ、会津人のルーツに思いをはせてもらいたい。