【8月12日付社説】朝河博士没後70年/いま広い視野と英知に学ぶ

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 郷土が生んだ偉人の功績をあらためて見直し、後世へと引き継いでいきたい。

 二本松市出身の世界的な歴史学者、朝河貫一が1948年に亡くなってから70年が過ぎた。

 朝河は1873年、旧二本松藩士の家に生まれた。県尋常中(現安積高)、東京専門学校(現早稲田大)を卒業して渡米。エール大大学院などで学び、同大で日本人初の教授に就任した。日本と欧州を比較した封建制度史の研究などで大きな成果を上げた。

 また朝河は、日露戦争後の日本の強権的なアジア外交に警鐘を鳴らし続け、第2次世界大戦では日米開戦を回避するために米大統領からの書簡を昭和天皇に届けようと奔走した。

 朝河の行動の根底には、常に「国際協調と世界平和」を願う気持ちがあった。世界情勢が複雑化している現在こそ、その偉業を振り返る意義は大きい。

 没後70年に合わせて、県内では朝河の業績を紹介する行事が開かれている。県立図書館(福島市)は、「昭和天皇宛て大統領親書草案」などの資料を9月5日まで展示している。二本松市民交流センターでも、ゆかりの地や生涯について写真やパネルで紹介する企画展が今日まで開かれている。

 朝河の学問に懸ける情熱や、平和への思いに触れることができる良い機会だ。足を運び、古里の先人に理解を深めたい。

 県教委は毎年、中学生と高校生を対象に国際理解や国際交流に関する論文を募集し、優秀者を「朝河貫一賞」としてたたえている。

 国際化が加速している中、子どもたちはグローバルな視野を育んでいくことが大切だ。真の国際人として生きた朝河の生涯は、子どもたちにとって貴重な道しるべとなる。県教委は、朝河賞などの事業に加え、学校の現場でも子どもたちが朝河について学ぶ機会を設けてほしい。

 県教委は昨日、朝河の命日に合わせたシンポジウムを福島市で開いた。朝河賞を受賞し、米国で研修活動をしてきた高校生3人が成果を発表する場も設けられた。生徒たちは「朝河は、日本のことを世界に伝えるために力を注いだ。私たち若者も福島の現状を世界に伝え、相互理解を深めていきたい」と力強く話した。

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故後、本県には海外から多くの支援があった一方、いまも風評が根強く残っている。課題を解決するために、国際社会と真摯(しんし)に向き合った朝河の生き方から学ぶべきことは多い。