渡辺「まだ弱かった」 一瞬のスプリント力、海外勢に分
「まだまだ世界でメダルを争う位置に来てなかった」。自転車トラック男子ケイリンで11位となった渡辺一成(双葉町出身・日本競輪選手会、小高工高卒)は唇をかみしめ、言葉を絞り出した。
原発事故で被災した故郷への思いと共に、日本発祥の種目というプライドを胸に臨んだ。しかし、競輪選手としての経験を持ってしても、一瞬のスプリント力で勝る海外勢を打ち破ることはできなかった。「予選からレースの展開が見えていなかった。いつもならもっと積極的に仕掛けられたが、体が重く、反応しなかった」。五輪での緊張が体の反応を重くしたのだろうか。渡辺は「まだ自分が弱かった」と自らを責めた。
競輪とケイリンは似て非なる競技。自転車の規格、そして日本各地の競輪場トラックの規格とも異なる。「世界との差を埋めるために、世界の中で磨かないと駄目だと思った」。競輪選手は五輪を終えると競輪に専念するのが通例だが、渡辺は北京後も「競輪」と「日本代表」という二足のわらじを履き続けた。
レース後、渡辺はこう語った。「メダルを持って帰ってくることを楽しみにしていたと思う。その思いに応えることができず、本当に悔しい」。故郷からの声援に応えるため、熱く燃えた渡辺の長く短い4年間が終わった。
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