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ふくしまの舞台
法用寺
(会津美里町)
啄木の歌碑に会津の熱血漢

法用寺

法用寺の境内に立つ会津唯一の三重塔。啄木の2つの歌碑は、その巨大な建造物の裏手にひっそりとたたずむ。碑に刻まれた文字は、会津啄木会が啄木のノートなどから探し再構成した

 天才歌人石川啄木を殴った男として名を残す会津人がいる。会津美里町(旧会津高田町)雀林出身の中野(旧姓小林)寅吉。
 敵として憎みし友と
 やや長く手をば握りき
 わかれといふに
 1907(明治40)年、北海道・小樽で記者だった啄木は無断欠勤し、同じ新聞社の事務長中野に殴られ退社した。だが翌年、啄木は小樽を去る時、中野と握手を交わしたという。啄木が複雑な思いで歌に詠んだ男とは。後日談の舞台、中野の故郷を歩いた。
 雀林の集落の背後には古い三重塔が立つ。塔のある法用寺の境内は静まり、どこか無愛想だ。そこに啄木の歌碑が2つあった。
 大きめの歌碑に「敵として―」の歌。もう一方にも中野を歌った歌がある。
 あらそいて
 いたく憎みて別れたる
 友をなつかしく
      思う日も来ぬ
 歌碑を建立した会津啄木会の事務局長で国際啄木学会評議員の三留昭男さん(73)によると、中野はその後、自身も退社し各地を転々。勤務した警視庁では政争に巻き込まれ解雇。奮起して憲政会の衆院議員となった。「反骨、実直な努力力行型の熱血漢」と三留さんは言う。
 その熱血漢を啄木は情感を込めて歌った。ただ三留さんは、別れの握手は啄木が複雑な胸中を再構成したフィクションと言う。
 いずれにしろ、中野は法用寺の住職となった晩年、啄木のことを多くは語らなかった。境内の無愛想さは、中野の人柄に通じる気がする。(歌は「一握の砂」から)
  >>> MAP
 法用寺 会津高田駅の北西3キロにある会津三十三観音29番札所。会津唯一の三重塔や金剛力士像などの文化財が多数。啄木の歌碑も県内ではここだけとなっている。歌碑の建立は啄木生誕100年の1985年。
 ▽問い合わせ=会津美里町役場(代表電話0242・55・1122)。
【 3 】 2008年4月17日 福島民友新聞社・木曜ナビ ほっと面掲載
( 文・鈴木博幸 写真・一ノ瀬澄雄 )  
 

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