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高湯温泉
(福島市)
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吾妻に望郷の念 茂吉が詠む
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茂吉は高湯温泉の吾妻屋に宿泊、友との語らいを楽しみながら創作に励んだ
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歌人の斎藤茂吉は1916(大正5)年の夏、1週間ほど福島市の高湯温泉に滞在し、吾妻山にちなんだ20数首の歌を残している。茂吉は、何によって創作意欲をかき立てられたのだろうか。
山形県南村山郡金瓶村(現・上山市)生まれの茂吉は、蔵王の山々を仰ぎ見て育ったが、山形と福島両県にまたがる吾妻連峰もまた、故郷へとつながる大事な山だった。第1歌集「赤光」に収められた「吾妻やまに雪かがやけばみちのくの我が母の国に汽車入りにけり」には、吾妻の姿に望郷の念が重なっていたことが読み取れる。
茂吉が高湯温泉を訪れたのは、「赤光」発表から数年後。アララギの歌人で、信夫郡瀬上町(現・福島市)に住む門間春雄の案内で、念願だった吾妻への登山も果たした。友と一緒に、吾妻から故郷蔵王を見渡し過ごした数日間は、茂吉にとってかけがえのない経験だったろう。
茂吉の死から間もない53年5月、浄土平の桶沼のほとりに茂吉が詠んだ「5日ふりし雨はるるらし山腹の吾妻のさぎり天のぼりみゆ」の歌碑が建立された。除幕式に出席した長男茂太氏は「歌碑を前にして、一切経山のはげしい噴型のとどろきと、桶沼の底知れぬ深みと鎮まりをみたときに、私は『父』を感じ、父にふさわしい場所であると思つた。父は動的なものと、静的なものと、2つの面を持つた人であつたからである」と書き残している。茂吉は高湯での滞在中、吾妻の山々に自身の姿を見ていたのかもしれない。
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高湯温泉 開湯したのは、戦国時代末期の1607(慶長12)年といわれ、古くから湯治場として栄えた。俳人の加藤楸邨や庄野潤三、埴谷雄高ら作家ともゆかりがある。
▽問い合わせ=高湯温泉観光協会(電話024・591・1125) |
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2008年8月7日 福島民友新聞社・木曜ナビ
ほっと面掲載
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(
文・高橋敦司 写真・吉田義弘 )
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