再オープンへ壁や礎石を修復
偉人も学んだ県尋常中本館
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待ち望む市民
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【震災後】正面入り口には修復作業用の足場が組まれ、被害の大きさをうかがい知ることができる。一日も早い再オープンを、多くの市民が待ち望んでいる
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県尋常中(現安積高)本館として1889(明治22)年3月に郡山市開成に建築、1973年まで校舎として使用。明治期の代表的な洋風建築で77年6月、国重要文化財に指定された。
博物館は、当時の中等教育と1世紀以上にわたる教育の歩みを伝える。展示室では、当時の中学校教育の様子や野外演習、戦時体制下の学校教育などを解説とともに紹介している。また、国際政治の分野で世界平和に貢献した歴史学者の朝河貫一など、同校で学び、後に偉大な功績を残した先人たちの直筆の文書や著書の展示もある。
建物は鹿鳴館風で講堂の天井には、ろうそく用の華やかなシャンデリアを二つ設置。ベランダ、バルコニーなどは八角形で、随所に木造洋風技術が施される。大震災で漆喰(しっくい)の壁が崩れたり、礎石がずれたりするなど、大きな被害を受け、現在修復工事が行われている。
※問い合わせは、安積歴史博物館((電)024・938・0778)へ。 |
郡山に息づく明治の代表的な洋風建築 |
橋本 文典(はしもと・ふみのり)さん/安積歴史博物館事務局
東日本大震災では、内部の壁がほとんど崩落し、建物の基礎部分がずれるなど大きな被害を受けました。現在は国などの補助を受けながら、2014(平成26)年秋の再開館を目指して修復工事が進められています。
安積歴史博物館は創建当時のままに残り、技術者の息吹を感じる建物です。私自身も安積高2年生の時に、この校舎で学んでおり、思い入れは深いものがあります。
今年の9月には、安積高の文化祭に合わせて震災後初めて、修復工事が進む建物内部の見学会を行いました。約160人の市民の方が参加し、興味深そうに見入っていました。
建物の管理などを行う財団法人安積歴史博物館は現在、公益財団法人移行に向けて、県に申請中です。認可されれば、建物の再開館後、気軽に使用できる展示会などの催しも検討しています。
たくさんの人が訪れ、さらに親しまれる安積歴史博物館になってほしいと思います。
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明治に触れる
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【震災前】明治の洋風建築に触れられる場所として、市民に親しまれ、多くの人が訪れていた
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福島民友新聞社は、ふくしま復興支援プロジェクトの一環として、2012(平成24)年10月から13年5月まで、「ふる里の誇り ふたたび 福島遺産 百選 未来への歩み」を連載しました。
「福島遺産 百選」は、県内それぞれの地域で「ふる里の誇り」として守り継がれてきた有形無形の宝を後世に残していこうと、福島民友新聞社が07年に県内外に呼びかけ、選定しました。
しかし、計120件のうち31件の遺産が東日本大震災で被災しました。本プロジェクトは、あらためて地域の素晴らしい宝を再認識することで県民一人一人の誇りを取り戻し、「心の復興」につなげていくことを目的としたものです。 |
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ふくしまが誇る美しい自然、歴史、文化 |
地域の宝を復興の力に |
震災に耐えて |
東日本大震災に耐え、被害を免れた福島遺産もあります。これらは地域で県民に勇気と希望を与え続けています。
沼沢湖(金山町)
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火山活動で誕生した外周約7キロの円形カルデラ湖。県内で唯一ヒメマスが生息するなど、豊かな自然が残されている。また、湖にすみ着き、住民に被害を及ぼす大蛇を会津領主の佐原十郎義連が退治したという伝説が語り継がれている。(金山町産業課商工観光係(電)0241・54・5327)
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伊佐須美神社(会津美里町)
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歴史は古く、その格式は東北でも有数で、岩代の国一ノ宮会津総鎮守と高い。年間を通してさまざまな祭事が行われている。2008(平成20)年に起きた火災で本殿、神楽殿などが焼失。13年の完成を目指して本殿の再建工事が行われている。(社務所(電)0242・54・5050)
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鶴ケ城(会津若松市)
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桜の名所としても知られる、会津若松市のシンボル。1384(至徳元)年に築かれた黒川城が前身。2010(平成22)年から、黒瓦だった天守の屋根瓦を明治時代に解体される以前の赤瓦ぶきに復元する工事が行われ、翌年3月に完成した。(会津若松市観光公社(電)0242・27・4005)
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