崩落と浸食、保護検討
大きさ半分に、ウミウも減少
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小さくなる島
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【震災後】東日本大震災とその余震で激しく崩落した。波による浸食も進み、島を保護するため、周囲に消波ブロックを設けるなどの対策が検討されている
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海岸から約500メートル沖合に浮かぶ照島。1945(昭和20)年2月、渡り鳥「ウミウ」の生息地として、国の天然記念物に指定された。
ウミウは毎年10月ごろに照島に飛来する。島は断崖絶壁で、陸から離れているため天敵が近づけず、周囲に魚などのエサも豊富なことから、ウミウの生息や繁殖に適した場所とされている。
しかし、年々、波による浸食が進む。2009(平成21)年には、高潮による崩落も発生。さらに東日本大震災、その1カ月後の大規模な余震で島の先端が欠け、全体の形が「ずんどう」から「三角形」に変わった。
ウミウの飛来数を毎冬、定点観測している日本野鳥の会いわき支部によると、島の大きさは天然記念物指定当初と比べ、半分以下になっているという。照島を保護するため、文化庁などにより、島の周囲に消波ブロックを設けるなどの対策が検討されている。
(日本野鳥の会いわき支部事務局(電)0246・34・8258) |
先人が大切にした自然を守り継ぐ |
小野 金次郎(おの・きんじろう)さん/日本野鳥の会いわき支部長
照島に飛来するウミウは以前は数百羽ほどいて、島全体が「いがぐり頭」のように見えました。島が小さくなるにしたがって、飛来するウミウの数も減っています。
毎年12月の早朝の調査では、96年で150羽、02年で102羽、09年で35羽、昨年は5羽でした。ただ、震災後でも夕方前に観察すると、30〜70羽ほど確認できます。ねぐらとしているのでしょう。
照島が天然記念物に指定されたのは、戦争末期のことです。戦時下にもかかわらず自然保護に理解を示した先人に、畏敬の念を抱きます。
照島は孤島ですから、何十年何百年先になるかは分かりませんが、いつかは無くなってしまいます。震災で、その早さに拍車が掛かっています。
復旧作業は私たちの生活環境が優先になりがちですが、自然を保護することも大切ではないでしょうか。多様な生き物を認め、大切にしてこそ、人も生きやすい環境になると思います。自然も含めて復興させることが、本来の意味での復興につながると考えます。
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孤島の風格
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【震災前】海岸から500メートル沖合に浮かび、堂々たる風格があった照島。数多くのウミウが肉眼で確認できた
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福島民友新聞社は、ふくしま復興支援プロジェクトの一環として、2012(平成24)年10月から13年5月まで、「ふる里の誇り ふたたび 福島遺産 百選 未来への歩み」を連載しました。
「福島遺産 百選」は、県内それぞれの地域で「ふる里の誇り」として守り継がれてきた有形無形の宝を後世に残していこうと、福島民友新聞社が07年に県内外に呼びかけ、選定しました。
しかし、計120件のうち31件の遺産が東日本大震災で被災しました。本プロジェクトは、あらためて地域の素晴らしい宝を再認識することで県民一人一人の誇りを取り戻し、「心の復興」につなげていくことを目的としたものです。 |
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ふくしまが誇る美しい自然、歴史、文化 |
地域の宝を復興の力に |
震災に耐えて |
東日本大震災に耐え、被害を免れた福島遺産もあります。これらは地域で県民に勇気と希望を与え続けています。
福満虚空蔵尊円蔵寺と
七日堂裸まいり(柳津町)
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約1200年前に徳一大師が開創したと伝えられる。江戸時代には、徳川将軍家の永久祈願所となった。毎年1月7日に行う七日堂裸まいりは、本堂・菊光堂の大鰐口を目指し下帯姿の男衆が打ち綱を登る奇祭で、年中行事の中でも特に有名。(円蔵寺(電)0241・42・2002)
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野口英世の生家(猪苗代町)
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世界的な細菌学者として知られる野口英世が生まれた家は、1823(文政6)年に建築されたという。かやぶき屋根の木造家屋で、当時の代表的な農家のたたずまい。英世が1歳半の時に、左手にやけどを負ったいろりなどが保存されている。(野口英世記念館(電)0242・65・2319)
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馬場桜(大玉村)
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推定樹齢千年以上の古木。馬場桜の咲く場所は平安時代末期、後三年の役に出陣した源義家が軍馬の訓練をした馬場跡だったといわれ、桜のむちを土に挿して駒止めしたものが根付いた、と伝わることから「駒止め桜」とも呼ばれる。(大玉村観光協会(電)0243・48・3131)
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