世帯数減り再開めど立たず
住民に親しまれる「出会い」の祭り
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「再会」を願って
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津波で大きく傾いた鹿嶋神社本殿の囲いは、氏子などの協力でほぼ修復された。神輿(写真左上)や太鼓は、津波をかぶったが流失を免れ、拝殿に保管されている
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広野町を流れる浅見川上流の大滝神社と、下流の鹿嶋神社の合同例祭。両神社の神輿(みこし)が桜田地区で合流して浅見川河口の浜辺まで向かい、神輿を担いだ若者たちが海に入ってみそぎを意味する「潮垢離(しおごり)」をする。大滝神社は女神さま、鹿嶋神社は男神さまともいわれ、年に一度の「出会い」の祭りでもある。
神事では子ども神輿も加わり、軽やかな太鼓の音色に合わせて地区内を練り歩く。太鼓をたたく音「たんたん」と笛を吹く音「ぺろぺろ」から、地区住民には「たんたんぺろぺろ」と呼ばれ親しまれていた。
震災では津波で鹿嶋神社の石の鳥居が流されるなどの被害が出たほか、避難などで地区の世帯数が激減。神輿の担ぎ手不足が続き、神事再開のめどは立っていない。流失を免れた神輿や太鼓は拝殿に保管され、「再会」を待ち続けている。
(広野町建設課産業グループ(電)0240・27・4163) |
住民の心支える地区の財産 |
根本 賢 仁(ねもと・まさひと)さん/鹿嶋神社氏子総代を務める
浜下り神事では本来、氏子の長男が神輿を担ぎます。しかし近年は人手不足で、町の企業に勤める若手社員らにも神輿の担ぎ手として協力をいただいていました。
震災以降、津波による家屋の被害や町の避難区域指定もあり、32世帯の氏子は、帰還予定も含め6世帯まで減ってしまいました。人手不足は深刻で、神事再開のめどは立っていません。また、津波を受けた鹿嶋神社は、鳥居や本殿の囲いなどが壊れてしまいました。
神社の修復に当たっては、廃止が決まった地区の葬儀組合から組合資金の残金を費用として寄せていただきました。住民からの善意を通じ、神事を途絶えさせてはいけない、との思いが氏子だけでなく地区全体にあることをあらためて実感しています。町役場には今でも「今年は浜下り神事をやるのか」と問い合わせがあるそうです。神事の再開が帰還した住民の「心の復興」となることを信じ、神社や神事の道具の修復・維持に努めたいと思います。
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地域で受け継ぐ
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威勢良く潮垢離する神事。人手不足解消へ、住民や地元企業など地域全体の協力で受け継がれてきた
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福島民友新聞社は、ふくしま復興支援プロジェクトの一環として、2012(平成24)年10月から13年5月まで、「ふる里の誇り ふたたび 福島遺産 百選 未来への歩み」を連載しました。
「福島遺産 百選」は、県内それぞれの地域で「ふる里の誇り」として守り継がれてきた有形無形の宝を後世に残していこうと、福島民友新聞社が07年に県内外に呼びかけ、選定しました。
しかし、計120件のうち31件の遺産が東日本大震災で被災しました。本プロジェクトは、あらためて地域の素晴らしい宝を再認識することで県民一人一人の誇りを取り戻し、「心の復興」につなげていくことを目的としたものです。 |
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ふくしまが誇る美しい自然、歴史、文化 |
地域の宝を復興の力に |
震災に耐えて |
東日本大震災に耐え、被害を免れた福島遺産もあります。これらは地域で県民に勇気と希望を与え続けています。
安達太良連峰(二本松市)
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磐梯朝日国立公園の南端に位置し、南北9キロにわたり連なる。主峰の安達太良山(標高1700メートル)は「日本百名山」の一つ。七つの登山口があり、四季折々の雄大な自然が織り成すさまざまな景観を楽しみに、県内外から大勢の登山客が訪れる。(二本松市観光課(電)0243・55・5122)
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新宮熊野神社長床(喜多方市)
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1055(天喜3)年、源頼義・義家親子が陸奥遠征に赴く際、武運を祈って紀州熊野から勧請したのが始まりとされる。長床は、1尺5寸(約45センチ)の円柱44本が10尺(303センチ)の等間隔で5列に並ぶ豪壮な四方吹き抜けが最大の特徴。(新宮長床事務所(電)0241・23・0775)
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一の戸橋梁(喜多方市)
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JR磐越西線・喜多方―山都駅の一ノ戸川に架かる、長さ約445メートルの大型鉄橋。1910(明治43)年に完成、花こう岩を使った橋脚や「ピン結合型トラス」と呼ばれる鉄材をピンで格子状に連結する珍しい構造の橋桁などが特徴。(喜多方観光協会山都支部(電)0241・38・3830)
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