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こころに残す ふくしまの風景
福島市民家園
(福島市)
歴史を目撃した貴重な建物復元
本県の幕末史、自由民権史に1ページをしるした客自軒。世良修蔵は正面の旧北棟2階から飛び降りた、とされている
 敷地面積約11万平方メートルの福島市民家園は同市西部の吾妻山ろくにある。敷地内には民家園で初の国指定重要文化財となった旧広瀬座をはじめ、県指定重要文化財の旧奈良輪家、旧菅野家など民家を中心に9棟の建物群が並んでいる。
 天気のよい日には木漏れ日が差し込み、ヒバリがさえずりながら天空を目指す。建物だけでなく、火の見やぐらや井戸、風呂場まで再現した園内は、江戸時代にタイムスリップしたような錯覚を覚えさせる。
 昨年、開園20年を迎えた民家園はハイキングコース、体験学習の場上して、市民の間にすっかり定着しているが、整備が完了したわけではない。福島市教委は「浜通りの民家も移築して、総合的な民家の保存施設にしたい」意向だ。
 民家園を代表する建物の一つ客自軒で、1868(慶応4)年旧4月20日未明、東北諸藩の運命を大きく変える事件が起きた。世良修蔵暗殺事件だ。
 奥羽征討軍で最も強硬な会津征討論者だった世長の「奥羽皆敵」文書に端を発した事件の詳細には触れないが、福島城下の北南町(現福島市北町)金沢屋2階に宿泊していた世良は仙台藩士に寝込みを襲われた。                     
 2階から飛び降りた際、頭に重傷を負った世良は金沢屋裏の割ぽう旅館・客自軒に連行され、庭で尋問を受けた後、阿武隈川の河原で斬殺(ざんさつ)された。事件直後に会津藩など東北諸藩は奥羽列藩同盟を結成、戦火は一挙に広がった。
 客自軒は明治になると、自由民権運動を目撃することになる。1878(明治11)年に自主的な町村議員選挙の福島投票所となり、82年には自由党福島部の第1回定期会の会場となった。同年、後の衆院議長河野広中が所有者の求めに応じ、紅葉館と命名した。
 昭和まで「下宿屋として使われた紅葉館は、平屋の旧東棟と2階建ての旧北棟の2棟。歴史的背景に加え、江戸期の福島地方の料亭建築として貴重ーという判断から、1992年8月、民家園に移設・復元された。
 福島盆地は春真っただなかにあるが、民家園を吹き抜ける風にはまだ冷たさが残る。耳を澄ますと、仙台藩士を手引きした、目明し浅草宇一郎のささやきや、こぶしを振り上げて演説する河野広中の声が聞こえてくるような気がする。
 >>> 行ってみよう
 JR福島駅からタクシーで25分。福島交通バス「室石」下車、徒歩8分。休園日は毎週火曜日(火曜日が祝日の場合はその翌日)。開園時間は午前9時30分から午後4時。入園料は大人300円、小中学生100円。電話 024・593・5249。
<3> 2003.04.18
 

福島民友新聞社
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