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こころに残す ふくしまの風景
宮本百合子文学碑
(郡山市)
処女作に託したメッセージ刻む
宮本百合子文学碑
開成山公園の五十鈴湖畔にたたずむ宮本百合子文学碑
 「どうぞ憎まないでおくれ。私はきっと今に何か捕まえる。どんなに小さいものでもお互に喜ぶことの出来るものをみつける」
 人道主義、プロレタリア文学の旗手として知られる宮本百合子の処女作「貧しき人々の群」の一節を刻んだ文学碑は、郡山市の開成山公園内の五十鈴湖畔にたたずんでいる。 
 現在は経済県都と称される郡山市だが、百合子の祖父・中条政恒が開成山地区の開拓を志した明治初期には一面の原野が広がっていた。1899(明治32)年、東京都で生まれた百合子は、幼少期から開成山の祖母の家で過ごす機会が多く、開成山の風土のなかで感受性をはぐくんだ。
 碑に刻まれた言葉は、近代社会で貧困のなかに生きる農民の姿を目の当たりにした17歳の百合子が、「貧しき人々の群」の主人公に託し、自分にできることは何かという思いを率直に述べたものだった。
 51年1月21日、51歳で亡くなった百合子の作品には「お久美さんと其の周囲」「禰宜(ねぎ)様宮田」など、郡山市を舞台にしたものが少なくない。百合子の創作活動の根本には、祖父が開拓に心血を注いだ同市の自然が原風景として刻み込まれていた。
 郡山を愛した百合子を、郡山市民もまた愛した。郡山青年会議所は62年、豊かな表現力を養ってほしいとの願いを込め、市内の中学生から作品を募集し、優秀者を表彰する賞を制定。女子の優秀者に与える賞は「百合子賞」と名付けられ、現在まで続いている。男子には久米正雄にちなみ「久米賞」が設けられた。
 文学碑は76年、市民有志の呼び掛けで建立された。碑は「大地に根を張るようにして立つ」百合子の作風に合わせて設計されたという。建碑20周年に当たる96年には、記念の集いが文学碑前で開催され、市内の混声合唱団が制作した合唱「安積野」などを披露した。
 郡山青年会議所で「久米賞」と「百合子賞」の運営を担当する安藤智重さんは「百合子の発した人間解放のメッセージは現代にも通じるものがある」と語る。
 >>> 行ってみよう
 東北自動車道郡山インターチェンジから国道49号に入り、いわき市方面に車で約15分。JR東北線郡山駅下車で、郡山市役所を経由するバスで約10分。市役所バス停そばの開成山公園の中を徒歩約5分。文学碑は五十鈴湖東側にある散策路の傍らに位置している。 
<39> 2004.01.16
 

福島民友新聞社
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