【誉れ高く】ふるさと創生賞・鈴木賢二さん 「日本酒王国」の神様

 
県産酒の躍進を支え、「日本酒の神様」と呼ばれる鈴木さん。「おいしさを全国にアピールしたい」と意欲を見せる

 第32回みんゆう県民大賞に選ばれた芸術文化賞の前ふくしま海洋科学館理事長・アクアマリンふくしま館長の安部義孝さん(81)、スポーツ賞の関脇若隆景関(27)=荒汐部屋、福島市出身、ふるさと創生賞の前県ハイテクプラザ会津若松技術支援センター副所長の鈴木賢二さん(60)。各分野で活躍し、県民に勇気を与えたそれぞれの活動を3回にわたって紹介する。

 金賞必獲マニュアル

 「日本酒の神様」―。前県ハイテクプラザ会津若松技術支援センター副所長の鈴木賢二さんは、いつしか県職員時代の肩書とは別にその呼び名が定着した。毎年5月に結果が発表される全国新酒鑑評会の都道府県別の金賞受賞数で、前人未到の8回連続「日本一」を達成している本県。この偉業の立役者となった鈴木さんの功績は酒造関係者ら多くの県民に知られている。

 「酒造りは正解がなく、漠としてつかみどころのないものだった」。県に採用されてから約10年間は食品化学科で酢やみその研究をしていたが、1993(平成5)年から酒造も担当するようになった。当時30代前半。上司は3人いて酒造りの疑問について相談しても、答えがバラバラな時があって困惑したという。

 転機は95年。県酒造組合の有志が高品質清酒研究会を設立した。金賞を獲得するための通称「金取り会」だ。バブル経済を機に高級な吟醸酒などの人気に火が付いたが、肝心の仕込みについての情報が共有されていなかった。そこで各蔵が門外不出だった技術を包み隠さず公開し、高いレベルの酒造りを追求した。

 各地から講師を招き、勉強会が開かれた。酒造業界をリードしていた新潟県の醸造試験場長などを務めた広井忠夫さん(会津坂下町出身)もその一人。鈴木さんは「金賞の取り方」を伝授され、資料も参考にして酒造りの研究を進めた。

 2002年12月には鑑評会に向けた作戦会議の場で初めて酒造りの虎の巻「吟醸マニュアル」を配った。実はこの年の鑑評会で本県の金賞が5蔵まで低迷し、危機感を抱いていた。杜氏(とうじ)の経験と勘に頼っていた時代。新しい酵母の登場で酒造りの方向性が大きく変化していたが、対応できていないと原因を分析していた。上司からは「責任を取れないからやめた方がいい」と声をかけられたが、マニュアルの配布に踏み切った。

 すると、03年は13蔵が金賞に。その後2年間も2桁で成果は数字に表れた。

 そして、06年5月。パソコンで結果を確認すると、金賞を示す星印の多さに驚かされた。金賞は23蔵。初の日本一を手にした福島の躍進は全国の酒造業界に衝撃を与える出来事だった。

 13年に日本一に返り咲くと、現在も頂点の座を守っている。今年は25日に結果発表を控える。鈴木さんは「まずは9回連続に記録を更新し、来年は10連覇を目指したい」と力を込める。

 今春に県を定年退職したが、各蔵を巡って指導を続けている。肩書が変わっても、酒造りへの情熱は人一倍だ。「これからは蔵ごとの個性を引き出せるようにしたい」。流行の変化や好みの多様化を念頭に置きながら、「日本酒王国」の次のステージを見据える。

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 すずき・けんじ 三春町出身。岩手大農学部卒。県に1985(昭和60)年入庁。県ハイテクプラザ会津若松技術支援センターの醸造・食品科長、副所長を歴任。今春に県職員を定年退職し、現在は県の日本酒アドバイザー、県酒造組合の特別顧問を務める。60歳。