誰もが分かる現代美術 東京芸大大学院教授・毛利嘉孝さん

郡山市で開かれている「バンクシーって誰?展」では、英国のストリートアーティスト・バンクシーが街中に描いたグラフィティ(スプレー塗料で公共の壁などに絵や文字を描いたもの)が再現され、社会を風刺する刺激的な世界観を楽しめる。バンクシーを長年追い、著書「バンクシー アート・テロリスト」などがある研究者の毛利嘉孝氏(東京芸大大学院教授)にバンクシーの魅力を聞いた。(聞き手 編集局次長・佐藤掌)
―「バンクシーって誰?展」を見た印象は?
コロナで旅行も移動もできず、好きな所へ行けない時期に、英国の街並みごと再現したグラフィティの見せ方が面白い。坂道を歩いているかのような場面もすごく考えられている。サイズ感もよく分かった。
匿名性今っぽい
―ロンドン留学中にバンクシー作品に出合った。
2002~03年ごろに現地の美術館などでバンクシー作品を集めた豆本が、500円程度でいくつか売られていた。当時は今のようなワン&オンリー(唯一無二)の存在ではなく、大勢のグラフィティライターの中の一番人気がある人、という感じ。顔こそ出さないものの、雑誌や新聞のインタビューも受けていた。日本の雑誌「スタジオボイス」にも長めのインタビューが載ったことがある。
―素性にはいくつか推察があるが、英国美術の古典や流れを勉強している知的な人物という印象を受ける。
パブリックスクール(私立中等学校)に行っていたようだが退学し、大学に行かなかった。高度な教育は受けていないだろう。ただ頭がいい人なので、ある時期から美術史を勉強していると思う。そうでないとメッセージを込めた作品は描けない。バンクシーは広い意味での英国文化に対する理解がある。
―人々の承認欲求が強い現在、あえて匿名で活動する格好良さがある。
(米国の芸術家)アンディ・ウォーホルとは全く逆で、バンクシーは人前に出ず、いまだに誰だか分からない。すごく今っぽい。これだけ匿名性を保っているのなら今後も貫くのだろう。まあみんな正体は分かっているのだろうけど。特に故郷ブリストルでは「あそこの息子が...」などと思っているだろうけど、それをみんなあえて言わないのは英国独特のプライバシーの概念があるから。日本だったら週刊誌などが小学校時代の写真を出したりしそうだが、そこは文化の違いがある。
―アートの敷居を低くしたとも言えるか。
誰もが知っている現代美術のアーティストは、なかなかいない。ダミアン・ハースト(英国)やゲルハルト・リヒター(ドイツ)などは著名だが、美術好きな人にしか知られていない。私の親は全然彼らを知らないが、バンクシーのことは一応知っている。「ああ、シュレッダーで話題になった人ね」という印象で。その功績は空前ではないか。好きというほかに、お騒がせアーティスト、スキャンダラスなことをする人として、多くの人に知られている。彼は2010年代から、何かすると欧州では必ずニュースになる存在になったが、日本ではやはりシュレッダー事件からだ。あの事件は政治的なものではなく、お騒がせ。日本でのバンクシーの需要はそういう部分。政治的なメッセージは意外に伝わっていなくて「モンティ・パイソン」などのコメディを見ているような感覚だ。バンクシー人気には、いくつかの理由が重なっている。
独立性を保った
―今までいなかったタイプのアーティストではないか。
現代美術は難しくなりすぎて、誰が見ても分かる、というものではなくなっている。バンクシーは誰が見ても分かる。彼は芸術作品が投機の対象になることなどに批判的で、ある種の反エリート主義や反権威主義、反資本主義。そのあたりはやはり唯一無二といえる。
―以前は有名バンドのレコードジャケットも手がけていたと聞いた。
それは事実だ。しかし、今後はやらないだろう。ある時期、世界的なスポーツ用品メーカーなど、いろいろな広告が付く可能性があったのだが、それを全部断った。それが一つの転機になっている。一時は方向性を探っていたようだが、大きな賭けに出て独立性を保ち、賭けに勝った形だ。資本が入ると好きなことができないということと、あくまでイリーガル(違法)でいることへのこだわりがあるのだろう。怪しい存在でいたいというか。
―社会課題を巻き込むことにも敏感なのでは。
英国のスーパー「テスコ」がバンクシーの地元ブリストルに進出する際には、地元の商店を守ろうと、テスコデザインの瓶を手榴弾のように変えた作品を版画にし、1枚当時1000円ぐらいで売って、そのお金を反対運動をしている人にあげていた。そこそこバンクシーの絵が高くなっていた段階で、すごく安い価格で版画をたくさん作り、売り上げを全部地元に寄付したという二重のすごさがある。結局、バンクシーは地元ブリストルが好きなんだ。
―震災後、福島県でも双葉郡で壁に絵を描く取り組みが進んでいる。アートは復興や街づくりに貢献できるか。
ブリストルに関して言うと、バンクシーの大きな展覧会が開かれたし、街の中に作品が結構残っていて、観光資源になっている。ブリストルで一番有名な人はバンクシーだ。本人はそんなつもりはなかっただろうが、うまくいっている。日本でもグラフィティに対する意識は違法なものとしていまだに厳しいが、壁に何か描く動きが出てきているのは、グラフィティ作家たちが社会的な地位を得ている、というのがあると思う。
―ウクライナ侵攻に対する動きはまだあまり見えていない。
やはりコロナのダメージが大きいのだろう。バンクシーとはいえ、移動制限がある中でのウクライナ行きは難しい。移動ができるようになったら、また大きなことをするのではないか。ただ、単純にロシアが悪でウクライナが善とはならず、もう少し複雑なニュアンスがある感じで描くのではないかと予想している。
―今後の活動をどうみる?
大きなプロジェクトの後に「バンクシーもこんな大きなことをやり、上り詰めた」と思うのだが、気づくとそれより大きなことをやっている。キャパシティー(活動範囲)が広く、ある時期から活動がグラフィティには収まらなくなってきた。普通の人だったら人生で一度やれば終わりのようなことを、次はパワーアップしてやっている。このあたりが彼らしい。しかも手法を変えてくるのが面白い。まだまだバンクシーの活動は続いていくだろう。
もうり・よしたか 東京芸大大学院国際芸術創造研究科教授。専門は社会学、文化研究・メディア研究。著書に「バンクシー アート・テロリスト」(光文社)、「ポピュラー音楽と資本主義」(せりか書房)など。バンクシーに関する本の翻訳も行っている。59歳。
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郡山で来月24日まで
「バンクシーって誰?展」 郡山市のビッグパレットふくしまで8月24日まで。午前9時30分~午後5時(最終入館午後4時30分)。平日限定入場券は一般1800円、高校・大学・専門学校生1600円、小中学生1100円。土日祝日限定入場券は一般2000円、高校・大学・専門学校生1800円、小中学生1300円。未就学児無料。福島民友新聞社、福島中央テレビでつくる実行委の主催。展覧会の概要は同展ホームページへ。