【興福寺と会津】興福寺・多川俊映貫首に聞く(下)忘れつつも忘れない

 
たがわ・しゅんえい 奈良市出身。立命館大文学部哲学科心理学専攻卒。1989(平成元)年から興福寺貫首を務める。「天平の文化空間の再構成」を掲げて、伽藍(がらん)復興に取り組み、昨年10月には江戸中期に焼失した中金堂(ちゅうこんどう)を落慶した。72歳。

 興福寺は東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の後、復興を祈りながら県内でさまざまな支援活動を繰り広げてきた。先頭に立った多川俊映貫首(かんす)が、その思いを語った。(聞き手・編集局長 小野広司)

 ―震災と原発事故から8年3カ月が過ぎた。興福寺の皆さんは震災後、被災地に入って支援活動をされてきたが、福島の現状をどう感じているか。

 「大震災の後、福島の復興に貢献したいとの思いから、徳一(とくいつ)が創建したお寺を訪ねるツアーを毎年開いている。飯舘村も訪ねた。そこで、綿津見神社の多田宏宮司に出会った。原発事故で村民が避難する中、地域にとどまり、神社を守ろうとする腰の据わった宮司だった。さまざまな場所を巡ることで、なかなか復興が進んでいない現状もあると知った。原発事故の問題は根深い。今までこういう事故はなかったわけで、どうすればいいという答えはない。50年、100年という長い時間の中で、福島を見続けなくてはならない」

 ―福島では関係者が懸命に努力して食品の安全性を高め、風評払拭(ふっしょく)にも取り組んできた。しかし、県外、特に西日本や海外にうまく伝わっていかないもどかしさがある。

 「知らしめることがまだ足りない。科学的には安全であることが証明されているのに、韓国の禁輸措置を巡るニュースなどに接すると、何か物足りなさを感じる。安全性を伝える政府などの努力が必要だ」

 ―震災では多くの人が亡くなった。多くの宗教団体も慰霊に入った。被災地では年々「風化」が実感されるが、多川貫首は「忘れることの意味」も説かれている。どう考えるべきか。

 「阪神・淡路大震災が発生してから、地震が起こった1月17日に私は毎年、神戸に行って黙とうをしている。風景は大きく変わった。最初は一面がブルーシートだった。それがいつの間にかなくなった。
 だが、まちは復興しても、亡くなった人だけはよみがえらせることはできない。それに向き合ってきたのが、伝統仏教だ。しかし、亡くなった人を思い続ければ、日常生活ができないようになる。だからこそ、命日などの節目、節目に、しっかり手を合わせ、勤め上げる。そして、日常では少しだけ棚上げする。忘れつつも、忘れないという姿勢が大切だ」

 ―福島では心の問題が大きくなっている。避難すべきか否か選択に迫られ、悩み抜き、今も苦悩する母親たちがいる。

 「宗教や哲学は、人間を原理的に考える。だが、原理だけでは、その人が抱える問題を理解できない。原理に立脚するけれど、場合によっては捨ててしまう。宗教者に求められているのは、被災した方と人間対人間として関わることだ」

 ―どのように救いを求めたらいいのか。

 「救いは、自分で見つけるしかない。『元気をもらえました、勇気をもらえます』という言葉をよく耳にするが、あくまでも主人公は本人。私たち僧侶にできるのは、本人が元気を出すための手伝いなのだ」

 ―この夏は会津で多くの仏像と向き合う機会を得た。あらためて、復興祈念展への思いを。

 「『祈念』という言葉を大切にしたい。祈念とは祈りであり、宗教の本質だ。技法や素材などに注目するだけではなく、全ての知識をかなぐり捨てて、一人の人間として仏像と向き合ってほしい」