【MEET THE 仏像】(2)奈良大教授・今津節生さん

 

『いつか、みんなの暮らしも元に戻るんだよ』というメッセージに」

◆文化財は復興の象徴 

 最も有名な仏像の一つ、奈良・興福寺の阿修羅(あしゅら)像(国宝)をX線コンピューター断層撮影(CT)で調査した今津節生奈良大教授は「阿修羅像にはもう一つの顔がある」と明かす。8月18日まで会津若松市の県立博物館で開かれている福島復興祈念展「興福寺と会津~徳一(とくいつ)がつないだ西と東」にちなみ、文化財科学を専門とする今津教授に文化財調査の最前線とともに、災害と文化財との関わり、仏像の楽しみ方について尋ねた。

―仏像をCTで調査するとは。

 「10年前は仏像をCTスキャンで撮影することすら寺院側には抵抗感がありました。2009(平成21)年の阿修羅像の調査をきっかけにCT調査は『文化財の健康診断』として理解され、状況が変わりました。寺の最大の役割は仏像や宝物を次世代に受け継ぐこと。寺は『この仏像は大丈夫』と思っていても、実際は分からないとの不安もあります。私たち人間も、健康のようでもどこかに病気があると思って暮らしています。CT調査をすると、仏像の隠れた虫食いの跡や傷が分かります。傷んだ場所が分かれば注意することもできます。今の医療は予防医療を重視するようになりました。文化財保存でも状況は同じで予防保存という言葉もあるんです」

―阿修羅像の調査の成果は。

 「造立から1300年も過ぎているのにものすごく状態がいい、健康だということに驚きました。調査を進めるうちにいろいろな病気やけがをして治したことが分かってきました。病歴を整理すると、どの時代にこんなことがあったという仏像の歴史が浮かび上がってきました」

―調査で分かった事実は。

 「阿修羅像の内側に私たちが知っている表の顔とは違う、もう一つの顔があったことです。阿修羅像は粘土の型の上に麻布を貼り重ねて作られました。中の土は取り除かれ、張り子状になっています。粘土の型はなくなっていますが、顔の内側には原型の跡が残されています。CTで撮影した顔の内側の凹凸を反転させれば、誰も見たことがない原型の顔が再現できるはずだと考えました。当初は内側の顔が再構成できても外側の顔と大差はないと思っていました。結果は全然違っていました。興福寺の阿修羅像は柔らかい表情をしていますが、内側は厳しい顔だったんです。阿修羅は戦いの神で、本来は厳しい表情であっていいはず。作者ではない誰かの指示で表情が変わったのだと思いました。私の仕事はここまで。解釈は美術史家の仕事。警察でいえば私は科学警察、証拠を出していくのが仕事です。美術史家はそれを基に犯人を捕まえる刑事」

―33年前、県立博物館の開館に携わったそうですね。

 「開館1年前から4年間、学芸員を務めました。いわき市にある大畑貝塚の断面を剥ぎ取り、標本を作りました。2枚作製し、1枚は県立博物館で今も展示され、もう1枚はアクアマリンふくしま(いわき市)へと送られましたが、東日本大震災の津波にのまれてしまいました。文化財もさまざまな運命をたどるのです。東京電力福島第1原発事故により文化財を巡る状況も大きく変わりました。第1原発周辺には文化財がありながら放射線量が高く、近づくのも大変な地域もあります」

―災害と文化財の関わりは。

 「人間はどんなに長生きしても100年余りですが、文化財は千年の時を超えます。大きな災害が起こるたびに、こんなことは初めてだと人間は言いますが、文化財には数百年前の災害の痕跡が残されているのです。文化財の記憶を導き出し、自分のものにしていくことが大切。また災害後には文化財の持つ力が再確認されます。熊本地震の後、熊本城を復興させようという動きが盛り上がりました。文化財は復興の象徴。寺社の復興が『いつか、みんなの暮らしも元に戻るんだよ』というメッセージを送ることにもなります」

―興福寺も災害が相次いだ。

 「火事が繰り返し起きました。大きく重い仏像は焼けましたが、軽い仏像は救い出せました。張り子状の阿修羅像は15キロと軽く、1人で運び出すことができたのです。阿修羅像は腕の付け根が壊れています。前に倒れたのではなく、抱えて走りだしたときにどこかに当たったと考えられます。壊れた部分を見ると、像を小脇に抱えて逃げる僧侶の姿が思い浮かびます。阿修羅像に残る傷は大切にしなかった結果ではなく、命懸けで守った痕跡なのです」

―仏像を見る楽しみは。

 「知れば知るほど面白い。新聞や写真集で満足せず、写真に出ていない姿を見てみるといいでしょう。横や後ろなど場所を変えて見ることで新しい発見があるかもしれません。テレビはさまざまな角度から撮影しますが、見えるのはカメラがのぞいている範囲。でも博物館では自分の目と思いで見ることができます。顔も正面だけでなく、見上げたりすると表情が違ってくるはずです」

いまづ・せつお 和歌山県生まれ。学術博士。青山学院大大学院を経て1985(昭和60)年に福島県立博物館準備室学芸員。奈良県立橿原考古学研究所保存科学室長、九州国立博物館「博物館科学課」課長などを歴任。2016年から奈良大文学部教授。著書に興福寺監修「阿修羅像のひみつ 興福寺中金堂落慶記念」(分担執筆)など。

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