【 大七酒造 】 生もと造りで"本物"追求<二本松市>

 
内側に漆、外側に柿渋を塗った木桶で「もろみ」に「かい入れ」する杜氏の佐藤さん=二本松市・大七酒造

 「生もと(きもと)造りの大七」。よく耳にする言葉だが、ほかの醸造法とどう違うのか。「世界に誇れるバイオテクノロジー」と生もと造りにこだわり続け、県内の蔵元に先駆けて海外進出も目指してきた大七酒造(二本松市)。その10代目社長太田英晴さん(55)=写真・下=に尋ねた。

 「生もと造りは日本酒の最も正統的な醸造法です」。太田さんによると、自然の微生物の中から強い清酒酵母だけを残し、数倍の時間と手間を掛けて育てるのが、その製法だ。明治末期に醸造の簡略法が開発されたが、「"本物"を追求すれば、最後は生もとにたどり着く。決して古い技術ではなく、現代に生きている技術」。太田さんは、こだわる理由をこう話す。

 では、味わいは。「柔らかく濃密で複雑なおいしさと言うのでしょうか。奥深さとも表現できると思う」。この酒の魅力を「熟成させると、さらに深い味わいが楽しめる」と続ける。

 約20年前から海外進出に力を注いできた太田さんには「日本酒はワインに負けていない。日本には生もと造りがある」との自負がある。酒の雑味の原因になる成分を効果的に除去する革新技術の「超扁平(へんぺい)精米」も、生もと造りをしっかりと支えている

 今年から本格的に取り組む「木桶(きおけ)仕込み」。木桶が並ぶ仕込み蔵では「県の名工」にも選ばれた杜氏(とうじ)の佐藤孝信さん(68)が「もろみ」のガスを抜き、温度を均一にする「かい入れ」の作業に精を出す。「挑戦だけど、楽しみだ」。その言葉には、自信がみなぎる。


大七酒造

 初期の酒銘は「大山」
 1640年代、太田家は二本松藩主丹羽家に従って伊勢国から3兄弟で来往し、それぞれに酒造業を営んだとされる。1752(宝暦2)年、太田三良右衛門(さぶろうえもん)が分家し、現在の大七酒造を創業。これを始祖とし、3代目以降は七右衛門を襲名。初期の酒銘は「大山」だったが、後に七右衛門にちなみ「大七」と改称された。8代目七右衛門の時代に全国清酒品評会第1位などの成果を収めたが、現在は出品していない。大七酒造(電話)0243・23・0007

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