【食物語・ヤナギガレイの天ぷら】 虎造絶賛の味を再現 昭和の思い出

 
ヤナギガレイを手際良く揚げ、盛り付ける佐藤さん。長い料理人人生の中でもヤナギガレイの天ぷらうどんを作るのは初めてだ=いわき市常磐湯本町「味感さとう湯本店」

 食べたことのない味を求め、いわき市平の海産物専門店「おのざき」鮮場平店を訪ねた。名物メヒカリに加え、アカジやヤリイカなどの鮮魚が並ぶ。種類の豊富さに目移りしていると「用意しといたよ」と威勢の良い一声。仕入れをお願いしていた魚を手に「おのざき」社長の小野崎幸雄さん(57)が待っていてくれた。その魚とは干物でなじみの高級魚ヤナギガレイ。今回はあえて天ぷら、さらには天ぷらうどんにして食す。

 戦後に一世を風靡(ふうび)した浪曲師の広沢虎造(1899~1964年)は全国を興行する中で数多くの美食と出合った。その広沢に「究極は小名浜(いわき市)のヤナギの天ぷら」と言わしめた料理。広沢はヤナギガレイの天ぷらをうどんにのせ、杯を傾けた。名人が「天下一品」と絶賛した味の再現を試みる。

 店の調理場で社員の太田一郎さん(62)が見せる熟練の包丁さばきに感心する。「骨が軟らかい魚だから、包丁に力を入れずになでるように中骨を切り取るのがポイントだよ」。太田さんもまた名人だ。

 「ヤナギの天ぷらうどんはうまくてね。あの味が忘れられない」。小野崎さんは幼少期の昭和30~40年代に食べた天ぷらうどんの味を思い出すという。天ぷらうどんと言えばエビやキスなどが定番だが、当時のいわき市ではヤナギガレイが主流だった。

 天ぷら、から揚げと、いわきの食卓に欠かせない魚だが、原発事故後、地場の常磐産は市場に出回らなくなった。小野崎さんは1週間に2日間行われる試験操業で獲(と)れたヤナギガレイを用意してくれていた。「原発事故後に他産地のヤナギを仕入れたが、客の評判はいまひとつだった。常磐産が一番だよ」。首都圏での販売活動など、風評払拭(ふっしょく)にも取り組む小野崎さんが太鼓判を押した切り身を手に、同市常磐湯本町にある料理店「味感(みかん)さとう湯本店」に向かった。

 店主の佐藤澄則さん(64)は浪江町に店を構えていた。避難を余儀なくされたが、料理人としての思いが募り2011(平成23)年12月、故郷である常磐湯本の温泉街に店を出した。湯本店とは浪江町の「本店」への思いがあるからこそ付けた名だ。記者が浪江支局勤務時代から慕う佐藤さんに調理を依頼すると、「ヤナギの天ぷらを揚げたことはあっても、うどんは初めてだよ」と言いながらも快諾してくれた。

 「いい魚だね」。佐藤さんの言葉がうれしい。手際良く揚げていく。食欲をそそる香りが漂い、空腹感を刺激する。思いを察してか、目前に揚げたての天ぷらを出してくれた。天つゆを軽く付け、一口食べると、カレイの甘みが広がり、笑みがこぼれる。ふわっとした食感もたまらず、箸が止まらない。至福の時間が続く中、天ぷらうどんが完成した。佐藤さんと、妻千恵さん(64)と一緒に味わう。「ヤナギの天ぷらはうどんに合うんだね。おいしいね」。笑顔を絶やさない千恵さんの言葉に尽きる。

食物語・ヤナギガレイの天ぷら

食物語・ヤナギガレイの天ぷら

食物語・ヤナギガレイの天ぷら

(写真・上)骨が軟らかくさばくのが難しいヤナギガレイ。おのざきの太田さんが熟練の包丁さばきを見せる(写真・下)ふわっとした食感を楽しめるヤナギガレイの天ぷら。うどんとの相性も良い

 ≫≫≫ ひとくち豆知識 ≪≪≪

 【ヤナギガレイ】ヤナギガレイの正式名称はヤナギムシガレイ。ヤナギの葉のようなほっそりとした形をしているのが名前の由来という。本県の常磐沖をはじめ三陸沖や山陰沖などで晩秋から春にかけて水揚げされる。白身で脂が乗っており「カレイの王様」と言われるほど美味。抱卵している大型のものは高級魚の一つに数えられ、天日干しした「干しヤナギ」は干物の最高級品として珍重されている。

 【天ぷらの作り方】ヤナギガレイの天ぷらの作り方は次の手順で行われる。〈1〉頭やうろこなどを取り、よく水洗いする〈2〉背の中央に包丁を入れ、左右に開く〈3〉丁寧に中骨を外すと、天ぷらの具材が出来上がる〈4〉続いて揚げる作業に移り、水気を拭いた身に薄力粉をさっと付け、衣が付きやすいようにする〈5〉冷水に卵と小麦粉を混ぜ、衣の生地を作る〈6〉白身を衣に付け、油で揚げると完成となる。油の量をできるだけ多くすることが、家庭で上手に揚げるポイントの一つだ。