【食物語・会津のラーメン(中)】 -会津若松編- 丼にかけた職人の志

 
中華鍋に張った沸騰した湯で麺を踊らせながらゆでる。穴沢さんは麺のツヤで判断して一気に湯切りする=会津若松市・中華飯店「大川」

 喜多方市でラーメンの魅力に触れ、ラーメンをもっと深く知りたくなった。ふと思い出したのが会津若松市の飲食店に掛けられたのれんやのぼり旗。そこには「会津ラーメン」の文字が並ぶ。これまで気に留めなかったが、喜多方と会津のラーメンは何が違うのか。興味が湧き、1968(昭和43)年創業の「中華飯店 大川(だいせん)」ののれんをくぐった。

 会津若松市には以前、会津ラーメン会という団体があった。大川店主の穴沢実さん(77)の説明によるとこうだ。二十数年前、市内の製麺所が同業者やラーメン店の店主に声を掛けて「会津ラーメン会」を設立、穴沢さんも加わった。資料が残っておらず詳細は不明だが、喜多方市で87年に「蔵のまち喜多方老麺会」が設立した後のようだ。それまで中華そばと呼んでいたが、会の発足で会津ラーメンの名が使われるようになり、会津ラーメンとして提供する店が増えた。現在では喜多方と同じく朝から店を開け、ラーメンを提供する所もある。

 肝心の喜多方と会津の違いについて聞くと、穴沢さんは小首をかしげ、「決定的な違いはないと思う」とひと言。しょうゆ味のスープと水分を多く含んだ多加水ちぢれ麺が流儀の喜多方に対し、会津も同じしょうゆ味のちぢれ麺。「当時は全国的に有名になった喜多方を意識したと思う」と穴沢さん。会津ラーメン会の会員は市内でも交通量の多い国道49号沿いなどに看板を立て、喜多方に負けじと必死にPRした。

 だが会は10年ほど活動した後に解散。確かな理由は覚えておらず、穴沢さんは「一つになることが難しかったと感じた」と述懐する。

 ◆新たな組織誕生

 当時を知る人が他にいないか探すと、創業104年の老舗中の老舗の「三角屋食堂」に行き着いた。ここも会員だった。店主の西田一彦さん(82)によれば、会津若松市にもうまいラーメンがあることを広めたいと思い参加したという。街中の神明通りにあった百貨店の物産展などで自慢の一杯を提供するなど、活発に活動した。

 時はたち、2005年に会津若松市の店舗が中心となった「会津らーめん若麺会」が誕生。3代目会長の星康治さん(65)=くるくる軒=は会津ラーメン会について詳しく知らないが、当時の会員と同じく、「喜多方ラーメンのように観光の一つにしたい」と対抗心を燃やす。

 ◆あっさりで深い

 取材を終え、穴沢さんの店で看板メニューの特製ラーメン(税込み570円)を注文した。あっさりしながらも深みのあるしょうゆベースのスープを飲み、製麺機で延ばし、手もみで仕上げた自家製多加水麺をすする。昔懐かしい味だった。ラーメンで地域を盛り上げようと奮闘した職人に思いをはせながら完食。解散しても、喜多方に追い付き追い越せの精神でラーメンを作った「会津ラーメン会」の会員の思いが引き継がれているようだ。一杯の丼から「自分たちのラーメンはどこにも負けない」との強い思いが伝わってきた。

食物語・会津のラーメン(中)

食物語・会津のラーメン(中)

食物語・会津のラーメン(中)

(写真・上)1968年の開店当時の中華飯店 大川。会津ラーメンの名称はまだなかった(穴沢実さん提供)(写真・下)スープと具材が一体となった大川の特製ラーメン

 ≫≫≫ ひとくち豆知識 ≪≪≪

 【会津らーめん若麺会】会津若松市や会津美里町などのラーメン店でつくる会津らーめん若麺会は、同市にある店舗「頓珍館(とんちんかん)」が中心となって2005(平成17)年に設立。6店舗からスタートし、19店舗に拡大した。加盟店を掲載したパンフレットを作製したほか、加盟店を巡るスタンプラリーを行うなど、地域に根付く若麺会を目指そうとPR活動に力を注ぐ。マスコットキャラクター「わかめんちゃん」もいる。現会長の星康治さん(くるくる軒)は3代目。

 【白べこラーメンを広める会】会津若松市の17店舗が加盟する会津白べこラーメンを広める会は、会津産の牛乳を使った白いスープが特徴の白べこラーメンを広めようと、昨年設立された。白べこラーメンは市役所近くにあるラーメン店「くるくる軒」が30年以上前に提供したのが始まりとされる。加盟店はのぼり旗を立てたり、ポスターやパンフレットを作りPR。東京・日本橋にある本県のアンテナショップ、日本橋ふくしま館「ミデッテ」のイベントに出店したほか、会津大で試食会を開くなど、その独自の味の普及に努めている。