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「区切りはない」毎日供養...事故から25年、遺族癒えぬ傷 オーストリア・ケーブルカー火災

2025/11/12 09:00

慰霊館でモニュメントに手を合わせる当時校長だった岩橋さん(左)と靖さんの妻=2011年10月、オーストリア・カプルン(涌井さん提供)
事故後に見つかった湧井智子さんのスケジュール帳。今も大切に保管されているが、父靖さんは「25年もたつと見返すことは少なくなった」と話す

 オーストリアで2000年、トンネル内を走行中のケーブルカーが炎上し、スキー合宿のため現地を訪れていた猪苗代中の生徒5人とコーチ1人を含む155人が死亡した事故は、11日で発生から25年を迎えた。遺族は消えることのない悲しみを胸に、四半世紀の節目に思いを語った。

 中学2年だった涌井智子さん=当時(14)=を亡くした父靖さん(71)は「あっという間の25年だった。事故後10年を過ぎたくらいから、もうしょうがないという心境になっていた」と振り返る。

 智子さんは小学6年の頃に地元のスキー大会で入賞を果たした。「小学校でスキーはやめると思っていたら『続ける』と言うので、親としては応援するしかない。中学に入るとさらに上達し、大会でもいい成績を残せるようになった」

 事故から1年ほどはショックのため不安定な状況が続いた。外に出てふとした拍子に、通学路が目に入るだけでも涙が止まらなくなった。命日には当時の先生、同級生やその親たちも来てくれて「周囲には感謝の気持ちでいっぱい。いつまでも忘れないでくれてありがたい」と話す。

 現地に最後に行ったのは11年10月。事故当時に猪苗代中の校長だった岩橋紀男さん(故人)に「現地に1度行ってみたいから一緒に」と誘われ、妻と3人で向かった。事故が起きたカプルンには慰霊館があり、犠牲者155人の名前が刻まれたモニュメントが立つ。現地に行くことは供養になると思う一方、事故直後の記憶がよみがえってつらい気持ちになる。事故やその後の裁判については「ひどい国だと思う不信感は今も消えない」と打ち明ける。

 事故は暖房機からの発火が原因となり、裁判では運行会社の役員らが過失出火罪などに問われたが、全員の無罪が確定した。

 事故で中学2年の長女を亡くした男性も「納得のいかない裁判だ」と憤る。「過失を認めて原因も分かる。でもそれを裁く法律がオーストリアにない。日本だったらあり得ない」

 長女の部屋には勉強机が当時のまま置かれ、スキー大会のトロフィーが並ぶ。部屋の中には仏壇と遺影もある。

 25年という歳月は「節目も区切りも私たち遺族には関係ない。この部屋で毎日線香をあげて娘を供養している」と話す。

 裁判中を振り返り、もっとこうしておけばよかったと思うことはあるが、当時やれることは精いっぱいやったので男性に後悔はないという。「後悔はないけど、怒りをぶつける場所がどこにもない。今もやりきれない気持ちは残っている」と静かに語った。

           ◇

 ケーブルカー火災事故 2000年11月11日、オーストリア・カプルンのキッツシュタインホルン山でトンネル内を走行中のケーブルカーが炎上した。猪苗代中の2、3年生5人とスキーコーチ1人ら日本人10人を含む乗客155人が犠牲となった。ケーブルカー運行会社の役員ら16人が過失出火罪などに問われたが、05年に全員の無罪が確定している。

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