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【2008.01.24】
勿来の関(いわき市)//武人・文人の歌の題材に//
青木光雄さん
青木光雄さん
◆子々孫々まで継承
  県立自然公園となっている勿来の関。地域のシンボルともいえるこの地の環境維持・整備は県立勿来自然公園を守る会が務めている。近隣住民の有志らで構成する同会は今年、設立38年目を迎えた。活動の中心は公園内のサクラを有害鳥獣から守るための対策や松の木のこも巻き、除草作業などに取り組んでいる。
 代表幹事の青木光雄さん(78)は「歴史あるこの地を、子々孫々まで大切に継承していきたい」と話す。
勿来の関 《mapクリックで詳細mapが表示されます》

茨城県境の小高い丘に位置する勿来の関。この地を一躍有名にした源義家の騎馬像が置かれるほか、関の頂上部に続く道の両側には文人らの歌碑が数多く残る ■常磐道・勿来ICから車で約10分、JR勿来駅から徒歩で南に約25分

  1500年ほど前、蝦夷(えぞ)の南下を踏まえて設置されたとされ、白河の関、念珠ケ関(山形県)と並んで奥州三古関と称される。
 勿来の関という名称で呼ばれるようになったのは平安中期以降とされており、それ以前は菊田の関と呼ばれていたという。北方の民の南下防止のほか、この地を往来する人の監視を目的に置かれたとの見方もある。
 「来るなかれ」という意味が込められたとみられるこの関を一躍有名にしたのは、平安後期に起こった戦役「後三年の役」の際、奥州平定のため朝廷から派遣された武人源義家がこの地を通りかかった時に詠んだ歌だった。
 「吹く風を勿来の関と思えども道もせに散る山桜かな」。この歌は、毎年春になると多数の山桜が彩るこの地の様子を叙情豊かに表現した名歌として人々に愛される。
 今でも多数の桜が咲き誇る景色を目的にこの地を訪れる観光客は後を絶たない。
 義家はじめ小野小町や紀貫之、さらに近代に至るまで多くの武人・文人らの歌の題材となった勿来の関。現在の関の小径の両側にはこれらの歌碑が多数置かれ、訪れた人を歴史と文学の世界にいざなう。
 現在、関一帯は県立自然公園に指定され、起伏に富んだ地形や太平洋を望む頂上部からの光景、さらに近年整備された勿来関文学歴史館や平安時代の寝殿造りを模した施設・吹風殿も訪れた人を楽しませている。
 

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