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【2008.2.16】
智恵子の生家(二本松市)//当時の生活感残す品々//
熊谷健一さん
熊谷健一さん
地域ぐるみで顕彰
  二本松市には、高村智恵子を顕彰する市民団体があり、さまざまな活動を繰り広げている。その1つの「智恵子のまち夢くらぶ」は、生家前の通りを「智恵子純愛通り」と名付けるなど、顕彰活動と智恵子のふるさとを活用した地域づくりを一体にした活動を展開。今年は没後70周年記念の事業を繰り広げる。
 代表の熊谷健一さん(57)は「智恵子を大切に顕彰し、地域全体の機運を盛り上げ、地域づくりで智恵子のふるさとづくりを進めたい」と話す。
智恵子の生家 《mapクリックで詳細mapが表示されます》

新しい女性像を模索した高村智恵子。生家を訪ねると「智恵子抄」に歌われた智恵子の思いがしのばれる 東北道二本松ICから北東へ車で約10分、JR安達駅から車で約3分。

  あれが阿多々羅山、あの光るのが阿武隈川―。彫刻家で詩人の高村光太郎が詩集「智恵子抄」で歌った、妻智恵子のふるさとへの思い。明治、大正、昭和と当時はまれな油絵画家として女性の新しいライフスタイルを模索した智恵子。その智恵子をはぐくんだ生家が保存、公開されている。
 高村智恵子は1886(明治19)年、醸造業を営む長沼家の長女として生まれた。幼少時から学業優秀で、福島高等女学校、日本女子大に進んだ。卒業後も帰郷せず、雑誌「青鞜」創刊号の表紙絵を描くなど、新しい女性の集団の一員として生活。光太郎と出会い、愛し合ったが、精神を病み1938年、52歳で亡くなった。今年は没後70周年に当たる。
 智恵子の生家は、人手に渡っていたが、旧安達町がふるさと創生事業で修復、保存。智恵子が愛用した琴や機織機をはじめ、醸造業を営んでいた当時のとっくりなども展示され、少女期の智恵子の生活が垣間見ることができる。
 生家裏の酒庫があった場所には「智恵子記念館」がある。同館では、智恵子が病床で制作した紙絵や、3点しか現存しない油絵の1つ「静物」、デッサンや手紙など智恵子ゆかりの品約50点を展示している。
 また、智恵子と光太郎が安達太良山を眺めた鞍石山には、智恵子の杜公園が整備されている。生家を見学した後、2人が手を携えて歩いた「愛の小径」を巡り、山頂から「ほんとの空」を眺めるのも一興だ。
 

福島民友新聞社
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