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【2008.04.08】
磐梯山(猪苗代町、磐梯町、北塩原村)//全国に知られる「宝の山」//
佐藤 公さん
火山に理解深めて
  磐梯山噴火記念館(北塩原村)の副館長佐藤公さん(52)は、周辺の小、中学校の出前授業や講演会などで、磐梯山の成り立ちや噴火システムなどを紹介している。今年は、明治期の磐梯山噴火後1カ月以内に撮影された未発表写真を宮内庁書陵部で発見するなど研究者としても活躍している。
 「現在の磐梯山の美しさは、多くの犠牲の上に成り立っているという二面性を認識し、火山への理解を深めてもらえれば」と話す。
磐梯山 《mapクリックで詳細mapが表示されます》

豊かな自然を有し会津のシンボルとして親しまれている磐梯山 裏磐梯までは磐越道猪苗代磐梯高原ICから国道459号を北へ車で約20分

  民謡「会津磐梯山」で「宝の山」と歌われる磐梯山は、会津のシンボルとして全国に知られている。
 長い歴史の中で噴火を繰り返した磐梯山は現在、標高1,819メートルの大磐梯を主峰に櫛ケ峰1,636メートル)、赤埴山(1,427メートル)の峰々で形成されている。かつては北側に小磐梯といわれる山があったが、1888(明治21)年7月15日に起こった突然の噴火で山体が崩壊。岩雪崩が周辺集落に流れ込み、家屋などを飲み込んだ。
 住民ら477人が犠牲となったこの大爆発は、地下のマグマからの水蒸気や地下水が熱せられて圧力が高まり、岩石を突き破って起こったと考えられており、後に「バンダイ型爆発」「ウルトラボルカニア型爆発」と名付けられて知られるようになった。
 岩雪崩はさらに長瀬川や小野川、中津川をせき止めたことから、桧原湖や秋元湖、五色沼など数多くの湖沼群が誕生した。現在も、桧原湖の水面下には当時の村の鳥居などが見ることができ、噴火がもたらした大きなつめ跡がうかがえる。また、裏磐梯からは荒々しい爆裂口が見ることができ、猪苗代町側から見る優美な山の姿とは対照的。
 今年は、甚大な被害を及ぼした明治の噴火から120周年に当たる。磐梯山周辺は現在、磐梯朝日国立公園の核として年間を通じて観光客でにぎわう。登山やスキー、釣りなど多くのレジャーを与えてくれる磐梯山は今なお、「宝の山」であり続けている。
 

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