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【2008.04.18】
鶴ケ城(会津若松市)//会津の象徴 市民ら再建//
宮森泰弘さん
城保存に意気込み
  鶴ケ城の管理・運営を委託されている会津若松市観光公社理事長の宮森泰弘さん(63)は、鶴ケ城本丸にあった「御三階」を、移築保存されている同市の阿弥陀寺から移転したいと考えている。
 今年は戊辰戦争140周年でもあることから「こうした節目をきっかけに、建物の構造調査などの準備をしっかり進めていきたい」と話す。また「市民、観光客から愛される鶴ケ城をしっかり保存していきたい」と意気込む。
鶴ケ城 《mapクリックで詳細mapが表示されます》

会津若松市のシンボルの鶴ケ城。春は桜の名所としても知られる ■JR会津若松駅から路線バス鶴ケ城回り線などで鶴ケ城北口下車、徒歩約10分

  会津若松市のシンボルとしてその名が通っているが、国指定史跡に指定された際、都市公園法で所在地名を付けて呼ぶことが定められたため、公式には「若松城」という。
 室町時代の1384(至徳元)年に葦名氏によって築かれた黒川城が前身。その後、会津若松のまちづくりの祖といわれる蒲生氏郷が入城、故郷の近江から安土城や大阪城の築城に携わった高度な技術を持つ石垣師、城大工を集め、1593(文禄2)年に七層の天守閣を持つ近世城郭に改築した。奥州一円で最大の城郭だったと伝えられる。この時、地名を「黒川」から「若松」に改め、城の名前も自分の幼名(鶴千代)にちなんで鶴ケ城とした。
 1611(慶長16)年の大地震で天守閣や石垣が損壊したが、28年後の加藤氏の時代に、現在のような五層の天守閣が再建された。
 戊辰戦争では約1カ月に及ぶ激しい籠城(ろうじょう)戦に持ちこたえ、難攻不落の名城と呼ばれた。戦火にさらされた天守閣を含む多くの建造物の傷みは激しく、1874(明治7)年に取り壊されたが、1965(昭和40)年に市民からの寄付などによって再建を果たした。2001(平成13)年に干飯櫓(ほしいやぐら)と南走長屋(みなみはしりながや)を復元。本丸内には、千利休の子・少庵が建てたといわれる茶室「茶室麟閣」も移築復元されている。
 春は桜の名所として知られ、4月中旬から下旬にかけて見ごろを迎える。
 

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