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浜島正士さん |
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◆建築史上も貴重 |
磐梯町が設置している史跡慧日寺跡調査・保存・整備指導委員会委員長の浜島正士さん(71)=文化財建造物保存技術協会理事長=は「平安初期から中期の寺院は現存が少なく、建築史上のブランクを埋める」と金堂復元の意義を解説する。
さらに、慧日寺は徳一の私寺で雪国に建築されたため「都(みやこ)の建物とは違った特徴も明らかになる」「大寺院を維持する力が地域にあったことを再認識されるきっかけになれば」と話す。 |
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1200年の時を越えてよみがえった金堂。いよいよ一般公開も始まる |
■磐越道磐梯河東ICから県道猪苗代・塩川線を東へ車で約5分 |
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約1200年前の平安初期、南都法相宗の学僧徳一により、磐梯山の山ろくに開かれた慧日寺。かつては百の堂塔伽藍(がらん)と三千八百坊の子院を有したと伝えられ、会津仏教文化の発祥の地として信仰を集めた。
戦乱や火災によって当時の建築物や資料の多くは失われたが、残された絵図や礎石群から壮大な規模の伽藍を誇っていたことが確認された。寺跡は1970(昭和45)年に国史跡に指定され、本寺、観音寺、戒壇の3地区で発掘、調査が行われている。
本尊が安置され、寺院の中心的な建築物だった金堂は2005年度から復元作業が始まった。金堂は建築面積約212平方メートル、高さ約8メートルの寄せ棟造りの木造平屋。建立当時に用いられていたと推定される材料や工法に近い仕様で建設、屋根は板葺(ぶ)きの一種「とち葺き」、床は板床張りにした。3年での工事が終了、25日から一般公開が始まる。現在は、来年2月の完成を目指して中門の復元も進んでいる。
史跡近くの磐梯山慧日寺資料館では、同寺と山岳信仰とのかかわりを記す資料や仏具など文化財を展示しているほか、「舟引き」など同寺に由来する年中行事についても考察している。国指定重要文化財「白銅三鈷杵(はくどうさんこしょ)」、中世半ばごろの同寺全山を描いた「絹本着色恵日寺絵図」、興福寺が所有する法相宗系図のそれぞれのレプリカなども展示。往時の様子を今に伝える。 |
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