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轡田勝暎さん |
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◆重要性広くPR |
1979(昭和54)年に伊佐須美神社の宮司に就任した轡田勝暎さん(68)は、神社や会津の歴史にスポットを当て、その重要性を県内外に幅広くPRしてきた。
30年前に比べて参拝客は10倍になったというが、轡田さんは「伊佐須美神社は会津という地名の発祥の地として深い歴史を象徴する場所。歴史の重要性を再確認し、今後もより多くの方々にこの神社を知ってもらえるよう力を入れたい」と意気込む。 |
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会津発祥の地とされる伊佐須美神社。年間120万人を超す参拝客が訪れる |
■JR会津高田駅から南へ徒歩20分、磐越道新鶴スマートICから同車で15分 |
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歴史は古く、その格式は東北でも有数で岩代の国一ノ宮会津総鎮守と高い。古事記には、4人の将軍が日本平定のために東北を回った際、派遣された北陸路のオオヒコノミコトとその子で東海路のタケヌナカワワケノミコトが再会した地とされ、会津の地名の由来になったと伝えられる。
社殿は文亀(16世紀)、天明(18世紀)、文政(19世紀)の時代に火災に遭ったが、葦名氏や松平氏によって復興された。現在の社殿は明治時代に起きた火災後に新築された。年間を通してさまざまな祭事が行われ、参拝客は120万人を超す。正月三が日には、普段閉ざされている楼門を開放、18万人以上が初詣でに訪れる。
7月12日には、日本三田植祭りの一つとされる御田植祭が行われる。「伊勢の朝田」「熱田の夕田」と並び、「高田の昼田」として有名で、神社では佐布川地区の長男らに伝わる伝統の「早乙女踊り」が奉納され五穀豊穣(ほうじょう)を祈願する。催馬楽(さいばら)ともいわれる田植え歌は中世の名残をとどめ、県内で最も古いとされている。そのほか、勇壮な「獅子追い」や「神輿渡御」「田植え式」が繰り広げられる。
伊佐須美神社のご神木とされる「薄墨桜」の花は、薄墨を含んだ白色で次第に紅色に変化するのが特徴。満開の時期の境内は、桜の香りに包まれる。毎年4月29日には、薄墨桜の前で桜の花をもちに混ぜて食べる花祝祭が開かれる。 |
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