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宮森泰弘さん |
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◆残る本物の名園 |
「御薬園は会津に残る本物の名園。会津の財産」と会津若松市観光公社理事長の宮森泰弘さん(63)。樹木や自然が相手だけに保全管理には細心の注意を払う。心字の池は、底に積もった土の撤去などを年次計画で進めている。来年、生誕100年を迎える勢津子さまの顕彰にも力を注ぐ計画。
宮森さんは「小泉元首相が訪れた際、絶賛された名園。会津松平氏の歴史が残っている。その心を御薬園で感じてほしい」と話す。 |
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会津の歴史を映す会津松平氏庭園の御薬園 |
■磐越道会津若松ICから南東へ車で15分。会津若松駅からバス東山温泉行き |
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会津松平氏の庭園で、1932(昭和7)年に国指定名勝になった。約600年前、領主葦名盛久が霊泉のわき出したこの地に別荘を建てたのがはじまりといわれている。
松平家2代藩主正経が、領民を疫病から救うため薬草園を設けたことから「御薬園」と呼ばれるようになった。園内では現在も、約400種類の会津産薬種や漢方薬の原料植物などが栽培されている。
池泉回遊式の山水庭に改修したのは3代藩主正容。東に東山、雪の飯豊連峰を西に望む景色を借景として取り入れ、園内には泉石や灯籠(とうろう)、樹木を巧みに配している。中央に「心字の池」、その出島には数寄屋造りの「楽寿亭」がある。池の水は、飯盛山の戸の口堰から引かれ、鶴ケ城の三ノ丸北側と北出丸の2カ所から鶴ケ城の濠(ほり)に注いでいる。
園内の一角に建つ「重陽閣」は、秩父宮妃となった松平家子孫の勢津子さまが、28年に会津若松市を訪れた際に宿泊した東山温泉新瀧旅館別館だった建物。73年、ゆかりの深い御薬園に移築され、勢津子さまの誕生日が重陽の節句(9月9日)のため、勢津子さま自身が命名された。移築後は一般に開放されている。建物内には妃殿下の功績を伝えるため「想ひ出の部屋」が整備され、誕生日には「重陽祭」が行われている。
このほか、園内には与謝野晶子が会津の歴史を映す名園を情趣あふれる言葉で詠んだ歌碑、県指定文化財の石造三重塔も建っている。 |
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