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阿部 智徳さん |
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◆「結」の精神で復興 |
長い停滞期に耐え、平成の世に復興した大内宿。原動力は村おこしにかける住民の熱意と相互扶助「結(ゆい)」の精神。住民の協働でかやぶき屋根のふき替えなどを行ってきた習慣から、大内には今もなお「結」が強く息づいている。
大内区長の阿部智徳さん(64)は「住民や各団体が結束、それぞれの役割を果たして大内の文化を形成している。関東に輸出してきたかやぶきの技術や衣食住など会津の伝統を守っていく」と話す。 |
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かやぶき屋根の民家が整然と軒を連ねる大内宿。江戸時代の面影を今に伝える |
■大内宿は会津鉄道会津線・湯野上温泉駅から北西へ約6キロ、車で約10分 |
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下野街道は日光街道に続く会津五街道の一つ。会津と江戸を結ぶ主要道として早くから開かれ、関東では会津西街道と呼ばれた。1590(天正18)年には豊臣秀吉が会津からの帰りに通ったといわれ、江戸時代は参勤交代や廻米の運搬路として多くの人や物資が往来した。
大内宿は下野街道沿いに整備された宿場の一つ。同街道を含め4つの通りが交差する交通の要衝として栄えた。現在も全長約400メートルにわたる道の両側にかやぶき屋根の民家が整然と並び、宿場の面影を今に伝えている。
明治時代に現在の国道121号が開通すると、下野街道は街道としての役割を終えた。人々の通行がなくなると大内は急速に衰退、山あいにひっそりとたたずむ陸の孤島と化した。
大内が再び脚光を浴び始めたのは昭和後期。高度成長で国民の暮らしが豊かになり、地方も都市化が進んでいく中で、江戸時代の宿場の姿を残す集落として注目された。
このころの大内は、屋根をかやぶきからトタンにする家が出始めるなど、宿場の面影が崩れつつあったが、観光に村の再興をかけた住民を中心に保存の機運が高まり、1981(昭和56)年には国重要伝統的建造物群保存地区に選定。かやぶき屋根や本陣などの復元が進んだ。
往時の家並みが再現され、近年は全国から大勢の観光客が訪れるようになった。85年に年間2万人だった観光客は現在、100万人に上る。 |
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