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【2008.07.19】
白河の関(白河市)//歌に登場 東北の玄関口//
金子誠三さん
今のまま残して
  白河市の金子誠三さん(81)は、1974(昭和49)年に「白河の関」、88年に「白河の関―歴史と文学」をそれぞれ出版した。「当時は白河の関に関する書物がなかった」と経緯を話す。
 同市で生まれ育った金子さん。「白河の関は砦(とりで)としての面と、歌人に詠まれるセンチメンタルな部分との二面性がある。今のまま、自然に囲まれた状態で残していってほしい。あまり手を加える必要はない」と語る。
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「東北・みちのくの玄関口」として知られる白河の関 ■東北道白河ICから南へ車で約30分、JR新白河駅から同約25分

  奥州三古関の一つ。蝦夷(えみし)の南下を防ぐために造られた砦(とりで)だった、と伝わる。また人や物資の往来を取り締まったともされる。8、9世紀ごろの文献資料に記載があることから、奈良・平安時代にあったとみられている。
 律令(りつりょう)国家の崩壊とともに関所の役割を終えると、「都人憧憬(どうけい)の地」として多くの歌枕に登場。平安時代の歌人能因法師が詠んだ「都をば 霞とともに立ちしかど 秋風ぞ吹く 白河の関」などが有名で、江戸時代には、松尾芭蕉が現在の関跡周辺に訪れたとされており、弟子の曾良(そら)は「卯の花を かざしに関の 晴れ着かな」と詠んでいる。
 1800(寛政12)年に白河藩主松平定信が関跡を調査。住民への聞き取りや文献から現在の場所を関跡として断定、「古関蹟」の碑を建てた。1959(昭和34)年から始まった発掘調査では、8、9世紀ごろの土器や鉄製品が出土。白河の関跡の条件にかなう点が多く、66年9月12日、国史跡に指定された。
 5.8ヘクタール、標高400メートルほどの丘陵があり、丘陵上には白河神社が祭られている。山桜やカエデ、樹齢数百年の大きなスギの木もある。
 関跡の周辺は、自然環境に調和した遊具、レストランなどが並ぶ「白河関の森公園」として整備された。「東北・みちのくの玄関口」。東北地方を旅しようとする観光客の出発点として人気を集める。
 

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