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【2008.07.25】
八槻都々古別神社やつきつつこわけじんじゃ(棚倉町)//農耕神として長年信仰//
菊池イネさん
境内の景色不変
 神職・宮に仕えてきた社家の家系で、今もあつく信仰しているのが菊池イネさん(84)。「静かな雰囲気は情緒あふれた癒やしの空間。受け継いでいってほしい」と話す。
 登校時には必ず神社にお辞儀をして通り過ぎたという境内の景色は今も変わらない。「当時の貧困時代とは違い裕福になってきているが、神さまを大切にする心を忘れさせないでくれる」と時代を経ても変わらない姿に感謝の思いを寄せる。
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奥州一宮として、古くから農耕神としてあがめられてきた八槻都々古別神社 ■白河ICから国道289号で棚倉町へ入り国道118号を南下、車で約40分

  県南地方を網羅する信仰のあつさがあり、古くから農耕神としてあがめられてきた奥州一宮。奈良時代の「延喜式」にも記載されており、現在は交通安全や五穀豊穣(ほうじょう)、家内安全、商売繁盛などを祈願する参拝者が多い。
 農村地方の中でも特に信仰のあつかった所として馬場都都古和気神社(棚倉町)、近津神社(茨城県大子町)とともに近津三社と呼ばれる。日本武尊(やまとたけるのみこと)と味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)をまつり、源義家が奥州征伐で千勝(ちかつ)大明神と改称したことで武神としての性格が加わった。国内初の神仏両道の信仰を持っていたが、明治初期の神仏分離によって仏教色が取り払われた経緯がある。
 鎌倉時代以降、伝承され続ける「御田植祭」は毎年旧正月6日、狂言風の田遊びを表現した豊作を祈念する伝統民俗で、2004(平成16)年に国の重要無形民俗文化財に指定された。地区で保存会を結成し守っている。
 12月には「ゆずとしょうがの八槻市」で知られる霜月大祭が開かれ、かつては鳥居の前から参道となった八槻街道の両側に屋台が並びにぎわった。ほかにも国重要文化財や県、町指定の重要文化財が多く奉納され、歴史の重みを感じさせる。
 南北朝時代から熊野参詣の先達職を務めた修験者の流れを受け継ぐ八槻家が宮司を務める。別当八槻家は、中世の面影を残した全国でも貴重な住宅となっている。
 

福島民友新聞社
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