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【2007.12.6】
宮畑遺跡(福島市)//縄文時代の集落跡残る//
斎藤義弘さん
斎藤義弘さん  
◆文化の発信拠点に 
  福島市は市制施行100周年記念事業として本年度、公園整備を開始した。全国から史跡公園の愛称を募集、909点の中から「じょーもぴあ宮畑」に決めた。「縄文時代を身近に感じられるユートピアのような場」の意味が込められている。市教委文化課宮畑遺跡整備室の斎藤義弘主査(47)は「基本計画策定の段階から市民が参加している。福島の歴史や文化、情報の発信拠点として公園を市民とともに育てていきたい」と話している。
宮畑遺跡 《mapクリックで詳細mapが表示されます》

縄文の中、後、晩期の集落跡が残る宮畑遺跡 JR福島駅から国道4号、県道福島・保原線を通って車で約15分

  4500―2500年前の縄文時代の集落跡。約2000年にわたり中期、後期、晩期の3期に特徴が異なるむらが営まれていた。南東北を代表する縄文時代の遺跡として2003(平成15)年、文部科学省から史跡に指定された。
 遺跡には「多くの焼けた家」と「巨大な柱」の2つの謎がある。中期には約200年にわたって約4割に当たる22棟の竪穴住居が意図的に焼かれており、住居の廃絶に伴う風習と考えられている。
 さらに、全国でも最大級の直径90センチの柱跡が発見された。晩期の掘立柱建物跡と見られ、その規模から特別な建物と考えられるが、使用目的は明らかになっていない。
 福島市は、この貴重な遺跡を後世に伝えるため10年の完成を目指し、史跡公園の整備事業を進めている。
 整備するのは約5万5000平方メートル。クリやトチノキを植栽した縄文の森と川を再現する環境復元・多目的地区、縄文晩期のむらをよみがえらせる復元エリアと芝生の広場、展示室やホールを備えたガイダンス広場の3つの区域を設ける。
 縄文時代の草花に囲まれた多目的地区には、芋煮などが楽しめるように炊事場を設ける。復元エリアには、謎の掘立柱建物や中期の竪穴住居、後期の敷石住居を復元し、縄文のむらを再現する計画。
 ガイダンス広場には、出土品を紹介する展示室や体験工房を備えた建物を建設する。
 

福島民友新聞社
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