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菊池利雄さん |
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◆歴史の重み感じて |
国指定史跡として国見町が管理している阿津賀志山防塁は、同町文化財保護審議委員会や史跡整備策定委員会などで、保全保護の方向性を模索している。
同審議会の元会長で、現在も調査活動とともに県内各地で講演を行うなど、阿津賀志山防塁や国見町の歴史を伝え続けている郷土史研究家の菊池利雄さん(77)は「この防塁が日本の歴史に及ぼした影響がどのようなものだったか、実際に訪れて感じてもらいたい」と話す。 |
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奥州藤原氏が源頼朝軍を迎え撃つために築いた阿津賀志山防塁 |
■東北道国見ICから県道白石・国見線、国道4号を通り山ろくまで車で約15分。 |
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1189(文治5)年、「奥州合戦」で源頼朝の鎌倉軍を迎え撃つために奥州平泉の藤原泰衡軍が築いた防御陣地。2つの空堀と3重の土塁で形成されていることから、地区民には二重堀(ふたえぼり)とも呼ばれている。国指定史跡。
山の中腹から南南東に向かって阿武隈川までの約3.2キロにわたって築かれていた。ふもとには東北道、東北新幹線、国道4号が並走し、近世では奥州街道が通るなど、付近は今も昔も交通の要所。
藤原氏が防塁を造るのに要した期間は6カ月間で、労力は延べ25万人だったといわれる。
奥州合戦は、壇ノ浦の合戦後に源頼朝と対立した義経が藤原秀衡を頼ったことが発端。毎年、奥州合戦を再現した「奥州合戦義経まつり」で合戦絵巻を再現する総勢500人の武者行列も行われるなど、義経とのかかわりも深い。
国見町では、保護保全を目的に国庫補助事業として防塁を町で買い上げ、公有化を図る事業を進めている。本年度までに防塁の形が残る高橋地区の公有化が完了、今後は調査を重ねながら事業個所を広げ、関係団体と協議を重ねながら保全の方向性を探る。
また本年度から、防塁をはじめとした町内の文化財の案内役を一般町民に担ってもらおうと「国見町文化財ボランティア」の育成にも乗り出している。11月に開講した講座には25人の町民が応募しており、今後の町振興事業への活躍に期待が高まる。 |
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