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【2007.12.29】
霊山(伊達市)//岩肌に紅葉 絶好の眺望//
阿部明義さん
阿部明義さん
守る会発足も視野
  霊山を広く紹介するために、霊山道先案内人会が1997(平成9)年に発足。観光客に同山の自然や歴史を紹介するとともにマナー向上を呼び掛けている。
 「自然を原形のまま保っていくことが大切」と意気込む阿部明義会長。一方、ペットの持ち込みの多さや周囲の開発が進んでいる現状に危機感を募らせ「『霊山の自然を守る会』のような組織を立ち上げ、自然環境の保全を強化していく必要もある」と話している。
霊山 《mapクリックで詳細mapが表示されます》

秋には岩肌に錦絵を思わせる紅葉が映える霊山 ■登山口までJR福島駅から国道115号を車で東に約50分

  伊達市霊山町の東、相馬市との境で阿武隈山系の緩やかな稜線(りょうせん)の中にそそり立つ。2500万−3000万年前の火山活動から生まれた玄武岩により鬼岩怪石がそそり立つ岩肌には、四季折々に新緑や紅葉が映え、絶好の眺望が楽しめる。
 南北朝時代の争乱の舞台でもあり、東北の山岳仏教の一大中心地、政治拠点でもあった。天台宗の東国布教の拠点として859(貞観元)年に座主円仁(慈覚大師)が開山したのが霊山の始まり。天竺の霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえて「霊山」と改名し、霊山寺を建立、隆盛時には3600人以上の僧坊と3000以上の伽藍(がらん)を誇るなど栄華を極めた。
 南朝の後醍醐天皇から命を受け1337年に陸奥国府として北畠顕家が移住し、社寺仏閣を霊山城として利用したが、1347年に足利尊氏軍により落城し寺院や城は消失。霊山寺跡、霊山城跡ともに今は礎石だけをひっそりと残し、隆盛の跡がしのばれる。
 霊山にはいまだ明らかになっていない歴史も多い。2006年には伊達市の調査で同市霊山町大石の宮脇遺跡から礎石建物跡などが出土、霊山寺が消失した後に造られた「里の霊山寺」の可能性が大きいとして期待が集まっている。
 現在は国史跡、県立自然公園に指定され、春の新緑やヤマツツジが咲く5月下旬などに多くの登山客が来訪。特に、岩肌に絵の具をちりばめたような秋の紅葉は錦絵を思わせる。
 

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