廃棄物 当時はぞんざいに

 

 第2次世界大戦中の広島と長崎への原子爆弾の投下だけではなく、その後の核実験および核処理施設・原子力発電所での事故など、さまざまな理由で放射線被ばくは引き起こされてきました。中でも原子炉が関係する事故は、チェルノブイリやスリーマイル、今回の福島第1原発だけではありません。

 1957年9月29日、旧ソ連チェラビンスク州のマヤーク核物質製造施設で冷却装置の故障に伴う高レベル放射性物質貯蔵タンクの爆発が起き、周辺地域に深刻な放射能汚染を引き起こしました。実はこの事故は国際原子力事象評価尺度(INES)でレベル6の事故と評価されており、スリーマイル(レベル5)よりも評定は上、世界で3番目に重篤な事故とされています。

 この施設では米国に負けまいとする旧ソ連の、核兵器の材料造りのための原子炉が1948年から操業を開始していました。その当時は現在と異なり、放射性廃棄物の扱いはぞんざいで、付近のテチャ川や湖に大量に放流されているような状態でした。そのため1957年の事故だけではなくそれ以前から、テチャ川沿いの住民は汚染された水や食物からの被ばくを受けました。

 この一連の汚染により住民が受けた被ばく量は、今回の福島原発事故に比べて桁違いに高かったことが報告されています。またテチャ川はストロンチウムによる汚染も強く、これによる影響も大きかったことも今回の事故と異なる特徴です。