核使用の危機、何度も経験

 

 第2次世界大戦後に激化した東西陣営の対立は、核兵器をはじめとする軍備拡張競争を加速化させました。世界中に存在する核ミサイルの数はどんどんと増え、1950(昭和25)年からの朝鮮戦争や、61年のベルリン危機、62年のキューバ危機をはじめ、東西陣営の緊張が高まり、核の使用が検討される危機を人類は何度も経験することになります。

 キューバ危機の後、米国、ソ連の両国はお互いの軍備拡張競争に歯止めをかけることで合意します。72年に戦略兵器を制限するための交渉が行われ(SALT―Iと言います)、核兵器を相手に打ち込むためのミサイルの数が制限されました。

 しかし、この交渉は核兵器の数を減らそうとするものではありませんでした。お互いがいがみ合う状況の中で、相手方より軍事的に不利になるわけにはいかないため、いきなり軍備を縮小するという話にはならなかったのです。

 その後、87年に中距離核戦力全廃条約が結ばれたことを振り出しに、徐々に核兵器の数が削減される方向に向かうことになります。最大時の5分の1程度には削減されたものの、今も数千発の核兵器を米国とロシアの両国が保有しています。