今も守ってくれている 会津鉄道芦ノ牧温泉駅長・小林美智子さん<6>

 
会津鉄道が開いたばすの社葬。私はひつぎに駅長の帽子を入れた

 「ばす」は鉄道員(ぽっぽや)らしい立派な最期を迎えた。

 2016(平成28)年4月22日、午後10時27分発の最終列車を病床から見送った直後、駅員全員に見守られながら静かに息を引き取った。体調が悪化していたのに、最期に聞いた踏切の「カン、カン」という音にも反応し、背伸びしたのが忘れられない。

 5月に入り、会津鉄道が開いた社葬には、全国から約300人のファンが集まってくれた。この時になっても私は、ばすの死を受け入れられずにいた。「頑張って寿命を全うしたね」「駅で働けて喜んでいたよ」。会津鉄道の社員や、火葬場の従業員が声をかけてくれて気持ちが楽になった。それでも火葬の時には、少し取り乱してしまった。

 気分が落ち着いてから、ひつぎに駅長の帽子を入れた。「これを入れたら、天国でも駅長の仕事を続けなきゃいけなくなっちゃうね」とも考えたが、「ばすは立派な芦ノ牧温泉駅の駅長だったのだから、駅長の帽子を入れて見送るね」と思った。その時、映画「鉄道員」を頭に浮かべていた。

 ばすがこの世を去ってから、もうすぐ7年。今でも県内外から多くのファンが駅に来てくれる。「ばすは今でも、駅で待ってくれている気がするんですよね」。こんな言葉をよくかけられる。私も同じ思いだ。

 数年前の出来事だ。私が一人きりの駅舎で夜遅くまで残業していると、足をしっぽでなでられたような感じがした。ばすに「早く帰れ」と言われた気がして、仕事を切り上げて帰宅した。その後、家族と食卓を囲んでも食欲が湧かない。しばらくすると、私は倒れて病院に運ばれ、入院してしまった。

 もしもあの時、そのまま仕事を続けて駅や路上で倒れていたら―。想像すると、ぞっとする。私が残業していた駅の事務所には、ばすを祭った神棚がある。ばすは今も、駅で私たちを見守ってくれている。私はそう信じている。(聞き手 高崎慎也)