福島県須賀川市の須賀川一中で2003年10月、柔道部の練習中に起きた事故で重傷を負い、後遺症のため自宅療養していた車谷(くるまたに)侑子さん=事故当時1年、享年(27)=が亡くなってから12日で6年となる。「私たちと同じような境遇で頑張っている人が全国にいる。アドバイスしたり、思いを共有したりして寄り添い、私たちの経験が誰かの役に立てれば」。両親は侑子さんが生きた証しとして、思いを伝えていく方法がないか考えている。
侑子さんの七回忌法要を7月下旬に終えた侑子さんの父政恭さん(68)と母晴美さん(61)が改めて関心を寄せたのは、今の教育現場だった。「事故に限らず、健康な子が突然倒れることもある。『たまたま不幸な出来事だった』で終わらせないために、部活動の現状を知りたい」。今月上旬、柔道部の練習が行われている同市の須賀川三中を2人で訪れた。
同校は現在、市内で唯一柔道部がある学校で、2人が見学を望んでいることを知ると道場に迎え入れた。2人にとって、侑子さんの4歳下の弟が高校を卒業して以来、教育現場とはほとんど縁がなく、学校を訪れたのは十数年ぶり。1、2年生の部員7人が顧問の指導を受けながら練習に励む様子や、ほかの運動部の活動を目の当たりにした。
しばらく様子を見守っていた政恭さんは「子どもたちの懸命な姿に目を奪われた。若いエネルギーに元気をもらった」と目を細めた。晴美さんは熱中症対策や部活動の指導体制、外部の指導者など、生徒らが安全に過ごすための取り組みについて、学校関係者に積極的に尋ねた。「貴重な体験ができた。事故がきっかけで部活動がなくなるのは悲しい。スポーツと出合い、学校生活の楽しい思い出にしてほしい」と願った。
繰り返させない
侑子さんは事故の影響で自立歩行や明確な意思の疎通ができない「遷延(せんえん)性意識障害」の後遺症を負い、2人は15年近くにわたり在宅介護を続けた。「大変だったが、もっと長く娘との生活を続けたかった。どうすれば娘が一日でも長く生きられたのか。他県のサービスと比較して、まだまだ知りたいという思いがあふれている」と晴美さんは言葉に力を込める。自身の経験から「こんな制度があったらいいな」と感じたことや、事故後の思いなどを整理してまとめ、記録として残すことが今後の目標の一つという。
事故から20年が経過し、少子化や教員の働き方改革で中学校の部活動の地域移行が進むなど、教育現場は変わりつつある。新型コロナウイルス禍を経て自分たちの思い、経験をどのように発信したらいいか、考えを巡らせるようになった。「私たちの時間も限られている。動けるうちに動かなければ」。2人は決意を胸に前を見据える。教育現場で痛ましい事故を繰り返させないために。(高橋由佳)
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須賀川一中柔道部事故 2003年10月に発生。事故を巡る民事訴訟の事実認定などによると、車谷侑子さんは、当時部長の男子生徒に一方的に投げられて頭を強く打ち、硬膜下血腫のため意識不明となった。侑子さんと両親は06年8月、学校側が安全配慮義務を怠ったなどとして、損害賠償を求め、須賀川市などを提訴。地裁郡山支部が09年3月、市などの過失を認め、約1億6千万円の支払いを命じた。