常に最前線で地域医療に向き合った福島県富岡町の医師が今月で引退する。富岡中央医院の理事長で医師の井坂晶さん(84)は、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で被災しても町民と共に避難し、避難所や仮設住宅で町民の健康を支え続けてきた。高齢を理由に約60年にわたる医師生活に幕を下ろすが、同医院は26日午後から閉院ではなく「休診」とし、今後出てくるであろう新たな後進に地域医療のバトンを託す。
「富岡で医者をやりたい人がいれば一から準備するのは大変。だからすぐに譲れるように『休診』にしたんだ」。そう語る井坂さんが開院したのは1991年。大熊町にあった県立大野病院などでの勤務を経て、富岡町の中心部に開院した。「町民のかかりつけ医」として地域から信頼され、2007年からは、6年にわたり双葉郡医師会長も務めた。
避難所でも診察
穏やかな日々は13年前に一変した。「震災と原発事故後の対応が最も大変だった」。震災発生翌日から多くの避難者が身を寄せた川内村で診察を開始。第1原発の状況が悪化すると、2011年3月17日から県内最大級の避難所となった郡山市のビッグパレットふくしまで活動を始めた。
「大混乱の中、何とかしなきゃと思い、スタッフを集めてボランティア医療班を立ち上げた」。病気の早期発見を心がけ、避難者の見回りを欠かさず行い、死者を一人も出さず閉所まで診療を続けた。11年8月には、大玉村の仮設住宅に仮設診療所を開設し、5年以上にわたり診察を続けた。「町と行動を共にし、患者に寄り添って力になりたかった」と話す。
富岡町内で再開したのは17年4月。帰還困難区域以外の避難指示が解除されると「帰還者に安心感を与えたい」との思いから自宅を改修し医院を再開した。以来、復興の最前線で1次医療を担って患者と向き合ってきた。
「元々70代で引退するつもりだったが、辞めるに辞められない状況だった」と笑いながらも「医療人の使命を果たす一心だった」と本心がのぞく。現在は井坂さんが通院患者から感謝の言葉を受けながら、他の医療機関への紹介状を書く作業に追われている。スタッフは今後、ほかの医療機関を視野に求職していく。
震災から13年6カ月が経過し、町内では帰還した高齢者の介護や独居といった課題が生じており「医療と福祉をまとめた施設で人材確保を図り、包括支援を充実させることが重要」と痛感しているという。
27日以降、内科がある町内の医療機関は、民間のとみおか診療所と県立ふたば医療センターの二つ。井坂さんは後進にメッセージを送る。「双葉郡の医療が患者に寄り添い、安心して生活できる地域医療体制になるよう切に願う」(国分利也)