【衆院選・有権者のまなざし】漁業/自分たちの海、戻らせて

 
漁を終えて請戸漁港に戻った佐藤さん。早く自分たちの漁場で操業できることを願う

 秋晴れの請戸漁港には漁を終えた多くの漁船が係留されていた。そのうちの1隻「宝積丸」に乗り組む相双漁協富熊地区代表の佐藤秋夫さん(54)は、東日本大震災から10年がたった今も古里の漁場に戻ることができないでいる。「いつになったら思うように漁ができるのか」と苦悩する。

 祖父、父と3代続く漁師だったが、10年前の震災で船を失った。5年前に北海道で船を新造し、しばらくは1人で漁に出ていた。今は「船が帰って来るのを待つのは嫌だ」という妻の三枝さん(55)と二人三脚で漁に出る。

 よそにもルール

 富熊地区に所属する漁船は震災前、富岡町の富岡漁港が母港だった。被災した漁港は2019年に再開したが、荷さばき施設などが請戸漁港に統合され、佐藤さんら3隻は請戸漁港から漁に出ざるを得なくなった。震災後に10隻があった船は現在、富岡町、いわき市・久之浜、浪江町請戸に分かれて漁などを続ける。「請戸地区の世話になって何とか続けているが、よその浜にはよそのルールがある。思うようには魚が取れず、やれることは限られる」。佐藤さんはつぶやく。

 古里の海での漁も実現していない。佐藤さんらの本来の漁場は、福島第1原発から10キロ圏内にある。かつての漁場に戻りたいという気持ちは強い。しかし水揚げした魚から基準を超える放射性物質が出た場合、出荷制限が掛かる懸念もある。「自分たちの漁場でやらせてほしいとお願いはしているが、いまだ認められていない。(同じ漁協の中でも)格差を感じている」と苦しい胸の内を明かす。

 処理水、納得せず

 今年4月、政府は福島第1原発の処理水を海洋放出する方針を示した。「漁業者の同意なくして放出しないと言っていたのに、突然だった」と佐藤さんは今も納得していない。試験操業から拡大操業に移行する時期に自分たちの漁場で操業できるようにしたいと考えていた矢先のことだった。「軽視を通り越してばかにされている」と感じる。

 政府は処理水の安全性について説明しているが「一番(風評)被害を受けているのが富熊と請戸だ。今ですら漁場が使えないのに(処理水が海に)流されたら、いつになったら思うように漁ができるのか分からない」。震災から10年を経ても我慢を強いられる富熊地区の漁業者。国民の審判を受けた後の政治は何を解決してくれるのだろうか。(田村祐一)

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 操業本格化、水揚げ量回復へ工夫重ねる 東京電力福島第1原発事故後に本県沖で行われた試験操業で、相馬双葉、いわき市、小名浜機船底曳網の3漁協の2020年の水揚げ量は約4590トン。水揚げ量は原発事故直後から徐々に回復している。しかし、原発事故前の10年との比較では約82%減となっている。今年4月からは本格操業に向けた移行期間に入り、各漁業者が水揚げ量を増やそうと工夫を重ねている。