松川事件...「司法変えた」原点 社会に警鐘、記憶さらに後世に

 

 福島市松川町で列車が脱線、転覆し乗務員3人が死亡した「松川事件」は17日、発生から70年を迎える。事件で逮捕、起訴された20人が最終的に全員無罪となり「戦後最大の冤罪(えんざい)事件」とも呼ばれた。事件に直接関わった関係者の高齢化が進み、元被告20人のうち18人が亡くなるなど、事件の風化が進んでいる。70年の歳月を経て、残された関係者は冤罪を生んだ社会に警鐘を鳴らし、その記憶をさらに後世に伝えようとしている。

 「当時、裁判を批判すること自体が画期的なことだった。公然と『裁判が間違っている』と言える社会の風潮が生まれた。その先駆けが松川事件だった」。元被告らが無罪判決後に起こした国家賠償請求訴訟で、専従の担当弁護人を務めた鶴見祐策弁護士(85)は70年を振り返りながら、事件の意義を強調した。

 被告らの裁判が進む中で、一般市民が裁判や事件の捜査を疑い、「公正な裁判」を求める動きが全国に広がった。鶴見弁護士は当事者だけでなく、多くの民意が社会を変えていった時代の変化を間近で感じ取った一人だ。

 14年を要して無罪が確定した刑事裁判を経て、事件の時効が迫る1964(昭和39)年に提訴したのが国賠訴訟だった。6年にわたった国賠訴訟では捜査の違法性が認められ、元被告を「容疑者」に仕立てた組織的不正が浮き彫りになっていった。鶴見弁護士は「検察側が秘匿していた重要証拠が改めて証拠採用され、それが元被告の無実を立証する新たな証拠となった」と振り返る。元被告とその家族らに対し、国に賠償を命じる判決が確定し、元被告らの無実は二重に証明される形となった。

 「まるで砂漠に水滴を垂らすような行動が、後に大河を生んだ」とも例えられた事件。鶴見弁護士は「残っている人は少ない。松川事件が残した教訓を忘れず、後世に語り継がなくてはいけない。それが私の使命」と語る。

 冤罪はなくならない。事実見る眼力を

 無実を証明するため元被告らが要した時間は20年にも及んだ。それから半世紀の月日が流れ、刑事や司法を取り巻く環境にも変化が出ている。

 取り調べの可視化や裁判員制度などが導入され、その後、捜査の手法や司法手続きは大きく変わった。鶴見弁護士は「松川事件が与えた影響で社会や司法が変わり、きょうに至っている」と評価する。一方で、「冤罪はなくならない。事実を客観的に見ることができる眼力を養い、正しい方向とは何か。自分の力で考えられる人が育ってほしい」と願う。