原発事故伝わる教訓 大熊・旧オフサイトセンター、解体前現地ルポ

 
旧県原子力災害対策センター正面入り口。雑草が生い茂っている

 大熊町にある旧県原子力災害対策センター(オフサイトセンター)は今月上旬、解体工事が始まる。福島民友新聞社は解体を前に、事故対応の最前線基地でありながら、わずか4日で放棄された同センターを取材した。そこには東京電力福島第1原発事故から8年が過ぎても事故直後の混乱や、備えの不十分さといった教訓が伝わる現場感があった。姿を消そうとするセンターから、事故の遺構をいかに残すのかと問い掛けられているようだった。

 ◆震災遺構いかに残すか

 帰還困難区域となった大熊町下野上の住宅街にある旧オフサイトセンター。駐車場は雑草に覆われていた。県原子力安全対策課主幹・副課長の米良淳一さん(52)の案内で、1階正面入り口から屋内に入る。電気も水道も止められて室内は薄暗く、懐中電灯で照らしながら内部を見て回った。

 まず実感したのは、第1原発事故がいかに想定を上回る過酷事故だったのかということ。1階には報道関係者用の部屋があるが、外からの入り口は1カ所で、そこには除染設備がない。施設を訪れる記者らが放射能に汚染される事故は想定外だったのだろう。

 巨大モニターが設置された全体会議エリアなどがある2階では、ブラインドの隙間から太陽光が漏れ、外からセミの鳴き声が絶え間なく聞こえた。こんな設備で放射線を遮蔽(しゃへい)できるのかとすぐに頭に浮かんだ。

 米良さんは「窓のサッシは二重になっているけれども、放射線は入ってくる。福島第1原発のような過酷事故は想定していなかったのだろう」と話した。

 この施設に代わって2016(平成28)年に開所した南相馬市原町区の新しいオフサイトセンターを取材したことがある。放射線量の上昇や通信網の途絶で機能しなかった旧センターの反省を踏まえ、新センターは気密性を高め、非常時の動線を確保するなど放射線防護が強化された。通信機能の多重化や免震装置の設置など防災力も向上した。

 この時の取材で、旧センターの放射線防護が不十分だったと頭で理解した。しかし現場を実際に見てみると肌感覚で、旧センターの不十分さを理解できた。

 事故当時の情報が記されたホワイトボードなどは、双葉町に整備されるアーカイブ施設(震災記録施設)に展示される予定だという。

 震災の教訓を伝える「震災遺構」もいずれ劣化する。全ての遺構を残しては復興が進まないのは理解できる。しかし、人の記憶が時間とともに薄れることを考えれば、災害の教訓を実際に見られる「現場」を保存する意義があるのではないか。それならばどの遺構を残していくのか。行政任せではなく、われわれ県民も考えなくてはいけないという思いを新たにした。